海風に・・・

5月の声に一斉に薔薇が咲き始めました。
午前中、夫は下駄ばきで庭をカランコロンと音を鳴らしながら丹精込めた花の香りに包まれて至福のひと時に酔います。
春の黄いろい花が終わって・・・ジャーマンアイリス、菖蒲や小手鞠が咲き乱れ、下野草が芽吹いて
大好きな白のねむの木もまん丸くルドンの絵のように夕暮れに浮かびます。
こんな一時の美しい季節を私は横目で駆け抜けます。
私の仕事も今がピーク。おまけに雑事がわんさか押し寄せるのもこの時期・・・
今年のスケジュールもすでに決まり、あとは倒れないよう駆け足で走るだけ。

その多忙の中で、実家の継母の引っ越しのため何度か私が育った懐かしい界隈へ車を走らせました。
青く伸びやかな海岸線を走りながら複雑な思いが過ります。
思春期は心そこにあらずだったせいか、あの界隈は小さな私のまま眠っています。
母が逝って45年、あれから故郷はあまりに遠く・・・私の生まれ育った界隈を私の中に封じ込めていました。
あの頃まだ若かった継母には私は先妻の匂いを持っていたようです。
邪魔をせぬよう父と継母の暮す界隈は遠く遠くなっていました。
私にはもう帰る場所はない・・・あれからめったに帰らない家。
理由も告げられないまま私は悪い事でもしてるかのように人目を避け、用事が済めばまたすぐに帰りました。
父はそれを寂しく思っていたでしょう。

あの家にその継母と父の暮らしが続きました。
そこを何十年ぶりに行き交えばひっそりと見知らぬ界隈となった今も路地だけは変わりません。
継母も年老いて今では私が頼りです。
その継母を訪れてくれた一人白髪の婦人、私を見るなり「Yちゃんだっけ?」と顔を紅潮させほころばせてくれました。
記憶の中にある若かった頃の彼女の顔が二重写しに重なってその温かさに目が潤みます。
あの頃私の家によく寄ってくれた近隣の人々の一人です。
「家に寄って・・・」の言葉ですぐ近くに住む父の若い友人だった彼女の夫に会いに。
「ああ、Yちゃんか・・・」私を見るなり驚きと喜びの色が彼の目に走りました。
私を覚えててくれたんだ。
私の記憶の中の若かった頃の彼はそのまま柔和な眼差しの老人になっていました。
何も言わずとも分かってくれる善良な人の暖かさ・・・
もう失ったと思っていた故郷は父が逝った後も年を取ったまま小さく息づいていました。
60をとおに過ぎたのに未だに母が恋しく、父へ寂しい思いをさせたという呵責が今も巡ります。
けれど・・・
長い長い隔たりを一足飛びで抱きしめてくれた彼らの微笑みが私の中のしこりみたいな何かを溶かしました。
暗くなった海沿いの帰り道、
5月の生暖かい潮風が車の中に飛び込んで・・・何でもない人の暖かさに泣けました。
幼い頃を伸びやかに育んでくれた故郷・・・人はこんな温かな記憶を何処かに忍ばせて生きていくのでしょう。
とっぷり暮れた海に父母の元気だった頃のあの闊達だった路地が鮮やかに浮かびました。

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