美しい顔・・・

二年ぶりの神戸・・・展示会でここを訪れてからもう十年になる。
元町のガード下をくぐった坂の途中にある娘のマンション・・・この街には一年前まで長女の暮らしがあった。
この街での展示会の度娘の部屋を常宿として私はこの坂を上り、街の角々に私の思い出も染みついている。
馴染んだ街・・・
今回はそのマンション近くに短期の宿を取り、私はまた旅人となってこの街を訪ねた。

「どないしてたん、もう帽子辞めんたかと思うたわ」
魅惑的なI女史の強烈なパンチ、何も言わずとも搬入の手伝いに駆けつけてくれるS嬢・・・
ある感傷は次々に現れるそんな懐かしい顔々に吹き飛んだ。
展示会初日、そんな会場に不釣り合いな乱入者?に居合わせた皆2千円づつ巻き上げられ、
その可笑しさに笑い転げながら皆で酒を飲めばもう同窓会のノリ!
年齢も背景も様々な女たちがその女事情?に笑ったり得心したり・・・
気まぐれなサンタクロースのように時たま訪れる私をこの街が女達が染み入るように温かく包んでくれた。
長旅から帰り着いた途端、鹿児島から神戸、日南・・・
また慌ただしく動いた日々の中で幾つかの染み入るような人の表情に出会った。美しい顔…だった。

展示会に初老のソフトを被ったある男性が現れた。下のギャラリーでやっている絵画展の友人らしい。
次の日、再び彼と彼の奥様が入れ違いで現れた。精神の澄んだ美しい人・・・彼の妻はそんな印象の女性だった。
そして三度目に彼が現れた日は雨が濡れそぼる静かな午後だった。手土産を持参している。きっと話すつもりでやって来たのだろう。
「奥様、素敵な方ね」私がそう言うと「そうでしょう?」とでも言いた気に微笑んで物語り始めた。

彼が大企業の戦士として駆け抜けていた時、思いがけない問題で壊れかけた家族・・・
彼が悪いわけではない。あれから苦渋を抱えながらも彼なりに懸命に修復を積み上げていったと思っていた。
けれど気が付けば何もかも失い独りだった。そんな虚無感に包まれていた頃だった。
偶然、故郷の同窓会で高校時代憧れ続けた女性に巡り会ったという。
自分ではどうしようもない事もある。彼女もまた人生の袋小路で喘いでいた。
「そこから出ておいで…」彼が声を掛けたのだ。人生は不思議だ。
「働き盛りはずっと金策してたなぁ。60になって高校時代ずっと憧れていた人と一緒になれたんだよ。
十五年になる・・・今幸せだよ。結果、元妻のお陰かな」ぽつりと呟いた。
「あれから買った小さな家のローンがやっと今年終わるんだよ。あの人に何にもしてやれなかったからね・・・来年は旅に連れて行こうと思う。」
絵描きの友人はポルトガルに住んでいた。そこを訪ねるという。
彼の人生は60から始まったのだろう、夢でも見るように彼の目が潤んだ。

神戸から帰り着いて義母を見舞った。義母は時間を行きつ戻りつ・・・穏やかに老いが進行していた。
すぐ横に座っている息子である夫を義母が「Tはどこ?」と目で追う。
「ここにいますよ、あなたちゃんと顔を見せてあげて…」私がそういうと夫は身を乗り出して「ここだよ」と無言で義母の顔を覗いた。
それは何とも言いようのないほど慈愛に溢れた、四十数年一緒にいる私が初めて見る夫の顔だった。
母親に確執のあった彼・・・その母の老いが切っ掛けとなって長年のわだかまりを彼なりに咀嚼し溶解していったのだろう。
泣いたような笑ったような愛に満ちた彼の顔だった。

展示会後に一緒に旅に出た日南の友人夫妻を訪ねた。
最近地元の友人を介して知り合った彼らの新たな友人Eちゃん、彼ら皆同い年の70・・・遅い出会いだった。
彼は時おり空き家となった実家に風を通しに遠方から帰省して来るらしい。
そもそも私達の友人夫妻のHも真っすぐだが頑固な気難しさを持った男でもある。
その彼が珍しく「僕、Eちゃんが好きだ・・・」しみじみそう呟いた。
忙しく駆け回って私はまだその噂のEちゃんとはお会いできないままだった。
だから今回彼が自宅に帰る前に是非ご挨拶を・・・と妹分である私がそう申し出ていたのだ。
Eちゃんと私達夫婦、初めてのご対面に「乾杯!」友人夫妻も嬉しそうだ。
こんな人が企業戦士だったのだろうかと思わせるほどとつとつとして彼の真摯な人柄がにじみ出ている。
だから皆嬉しくて一気に酔いが駆け抜ける。
苦学した後第一線で彼なりの時代を駆け抜け、今ようやくEは和みの時間の中にいるのだろう。
地元で老年?バンドを作り時おりこうして故郷へ帰郷したり・・・穏やかな時間を取り戻しているらしい。
そんな彼が私達の素朴な友人夫妻を今まぶしそうに見詰めている。
「こんな人達・・・初めてですよ」彼がそう呟いた。誠実な良い顔だった。
その夜、不器用で真っ新な彼らもそんなEの厚く温かな眼差しを受けていっそう元気に弾けた。
彼らも長く続く道を歩いてようやくここに辿り着いたのだ。
人生ゴール間近になっての出会い・・・互いの中を青春のようにまた高揚した風が吹いている。
暗黙の了解が良い人たちの間を流れる・・・私達の幸せな時間が夜のしじまに溶けて行った。

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