遠い日・・・

春夏秋冬の繰り返しで帳尻合わせ、また新たな年の幕開け・・・初春のお喜びを申します。
正月、撮りためた向田邦子のドラマを観てました。
我が家のお正月はあの頃この一連のドラマを子供らと一緒に観て過ごしました。
皆がまだ慎ましく昭和の匂いを放つあのドラマです。
まだ若かったあの頃、「阿修羅の如く」の佐分利信を分らぬまま私達は渋いと言ってましたっけ。
何十年か置いて観たドラマはいっそう底光りに輝いて・・・
若者が使っていた「渋い」の深層・・・人生が何かようやく分かる年になっていました。

最後かもしれない…そう思いながら暮れから正月を我が家で過ごしてもらうつもりだった義母、
様態の悪化でそれは叶わず私達の方が施設に日参しています。
海岸から山道を抜けて施設ある隣の町まで車を走らせれば
暮れから年明けの山里は伸びやかな陽だまりの中で冬枯れに静まり返っています。

病状とは裏腹に義母は微熱があるものの穏やかに微笑みます。
今と昔と無の混濁の中をゆっくり行き来し・・・
体の中は悲鳴を上げているはずなのに高齢の母にはそれが遠い出来事なのか、それが救いです。
ある日義母は思いがけないほど今と焦点が合って、それが嬉しくて一緒に歌を歌いました。
母が好きだった唄を歌い始めれば義母もついて来ます。
月の砂漠、赤い靴・・・次から次へと一緒に歌います。
こんな日もうないかも知れない・・・私は子供たちに急いで電話をしそれぞれにビデオで話しもできました。
パリにいる長女を画面で見て義母は驚くように「Mちゃん、太ったねぇ」笑いました。
記憶の中の孫娘は一年前の痩せたまんまの独り者の娘です。
「幸せ太りでしょう。私もずっと幸せ太り・・・」そう言えば義母も笑った。
その日、義母の楽しそうな様子に私達も嬉しく何時までも帰れませんでした。

翌日向かう車の中で「今日はもうないかも・・・ね」夫とそう言い来たのですが
次の日も義母の意識はちゃんとしていました。
強かった義母の今の穏やかな顔・・・御飯を義母の口元に運びながらながらこんな風に向かい合える時間の幸せを思います。
肩を揉む私に「私はね、こんな風に若い人たちと・・・良い人生でした。」義母がそう呟きました。
「ほんとに・・・良い人生でしたね」
自分の人生を振り返っている・・・こんな風に義母が自分を語れる日はもうないのかも知れない。
翌日から義母は話す事もなく、また遠い遠い日を探しているようです。
人が今その人生を終えようとしている・・・崇高な時間に立ち会っています。
夫と二人施設に行き交う時間、本当は私達が癒されているようです。

山の頂が何なのか模索しながら尾根を歩いて来てもうだいぶ見晴らしのいい所までやって来ました。
若い頃知らなかった愛しいという感情に気付いたからでしょう、人を幾重もの想いが包んでいる事を知りました。
義母がゆっくりゆっくり懐かしい時間を彷徨えるよう見守りたいと思います。

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