始まりは桃の節句・・・

今日は三月三日、桃の節句・ひな祭りです。
44年前の今日、生まれた家を出て彼のもとへ嫁ぎました。
一つの恋からもう一つの恋へと熱い衝動は切ない迷いを跨いで人生の扉を開けました。
生まれた子が成人するまでを2回も繰り返す時間・・・あれから途方もない長い時間を夫と過ごした訳です。
壮大な夢を持って屁理屈だけ前のめりの世間知らずの子供が子供を産み・・・
手探りで育てながら育ちながら今の”自分”になって行ったんだと思います。
若い頃の幾度も押しつぶされそうな時間を踏ん張り、お陰で精神の足腰?はタフに!
今眺めのいい場所から子供らがあの頃の私のように人生を手探りで漂っているのが見えます。
登ったり下ったり、回り道したり・・・何れにしても人生の山を上って行くのです。

私達夫婦の40年来の友人で我が家族の愛する堕天使・飲んだくれのみっちゃんが逝きました。
突然の訃報、彼らしく・・・愛の日・バレンタインディに亡くなるなんて。
迸る水のようにまっさらで・・・愛を乞う男でした。
その一報に信じられない思いで駆け付けた葬儀場・・・あまりに突然で彼の家族もバタバタしていたのでしょう。
だれもいない祭壇にたった独り、棺にみっちゃんが横たわっていました。
寝たふり?「俺、ひとりだったの・・・」甘ったれた声が聞こえそうでした。
その彼の家族が帰ってくるまでの3時間余り、夫と二人みっちゃんに寄り添いました。
ついこの間、暮れに電話の向こうでささやいていた彼の声・・・
「声が聞きたくてさ・・・会いたいねぇ。行くよ・・・でも今ちょっと無理」
私達が義母のもとへ日参している頃…ひと月前のことです。
あれが別れの言葉になるなんて・・・・。
待っている間、その悲しみはやがて可笑しみに変わり温かさに変わりました。
まだ耳元に残っている彼のしゃがれて甘ったれた声・・・それは私達の愛を知っている者の声でした。
「あ、お二人の絵が家にあります」彼の奥さんはその絵を見てすぐに私達だと思ったそうだ。
「俺さ、今二人の顔を描いてんだよ。」ある秋の日彼がそう言っていたのを思い出しました。

暮れから愛しい人を三人も見送るなんて・・・
逝ってしまった肉親や親しかった人に加え犬猫まで・・・我が家の飾り棚はまた賑やかに。
手を合わせる場所が我が家の仏壇?になりました。
食事前に何時ものように皆の写真に手を合わせ名を呼び語り掛けます。
するとなかなか会えなかったみっちゃんまで毎日会えるのです。
今までよりもうんと会えるのです。
この世で彼らと巡り合い、愛しい想いをつないでこれた・・・温もりが広がります。
私達もこうやって愛をバトンタッチして行くのだろう。

ある年、我が家恒例の”不良中年クリスマス会”でみんなわいわい集まりました。
忙しないその時期に私はふと婚記念30年目”だった事を思い出したのです。
それで夫に内緒で抜け出し、二日間私は私達夫婦の足跡を写真に収めに車を飛ばしました。
初めて住んだ家からさまざまな歩みの中で移り住みそしてたどり着いた海の家・・・
30年の私達の歩みがフィルムの巻き戻しのように現れました。不思議な感覚でした。
その夜仲間達が集まる最中、アトリエで私はこそこそとその写真に言葉を添えて製本作り・・・
宴たけなわに私は出来上がったばかりの赤い布張りのそれを夫に贈りました。
すると夫がその本を手に大泣きし・・・あの夜皆白けて帰って行ったっけ。
あの時は子供達に愛しい犬や猫達、みっちゃんもいたんだなぁ。
あれから15年経って・・・
クリスマスも不良中年改め不良老人?クリスマス会になりましたが
この家は相変わらずいろんな人が出入りし彼らの置き土産・・・
愛しい想いで溢れています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です