クチナシの花に

60になった時「私が60に?」なんて初老枠に違和感を覚えたのにするすると日々を過ごして先日また誕生日!・・・
あと2年で60代と言える時間にタイムリミット!もうくっきり・・・枠です。
「嘘でしょ!」と言いたいのですが「再生の春、良いねぇ」から始まって桜から紫陽花・・・季節が変わるたびに時が進んで行く。
眼を挙げれば向かいの山にはもやがかかって、重たげな梅雨空の下艶やかな緑の葉の中でクチナシの白い花が咲き始めました。
この季節になると私達が好きなビリー・ホリディのくゆるような歌声が遠く聞こえるようです。
子供らも好きで通学列車の中「この曲を聴いていると、もう学校なんか行く気しない…」遅刻組の彼らの青春です。
私はアトリエで仕事という遊びをしている間、夫は庭で一人花遊び。
休憩にリビングに戻ってきた私に彼が
「今までも幸せと思っていたけど、今もっと深くそう思うかな」とぽつり・・・一緒です。

若い時、自分の道が何なのか子供らの喧騒と共に何かしらを求めて歩いて来て
そうして佇んでる場所が今ここにある。
夫が今はまっている歌、遠藤賢司の「夢を叫べ」震える魂の歌です。
彼が亡くなってまたこの歌を聴き始めて更に思うようです。
自分生きてきた証・・・夫は自分の「絵」に拘ります。ブレもなく羨ましいと思います。
けれど私にはもうそういうの無いなぁ。
何かあるはず・・・そう思って歩いていたはずの自分の中に何時の間にかがむしゃらな何かが溶けていきました。
持つ必要のないジャンルの人間だったのかも知れません。
こうして仕事と言えるものに向かい合う楽しさ・・・それだけで充分なような気がします。
(才能ある奴は苦しめ!そうでない人間は楽しもう!)私の持論です。
人並みの可あり不可ありの人生で巡り合った愛に恵まれて自分らしくやって来れたのかも知れない。
愛に絡みながら分かち合いながら・・・案外それが自分の求めていたものかも知れない。
何より歪で甘ったれで拘りの強い私達夫婦の巡り合わせ・・・
あの若い時と同じように時を重ねてきました。
45年・・・途方もなく長い時間をきりきりとべったりとキャッチボールながら過ごしてきました。
でこぼこな夫婦からでこぼこな子供らが育って
ゆるぎない幸福が根付いてました。

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