灼熱の大地…

そうこうする内にもう八月、うだる暑さに加えて油蝉の大合唱、今更夏本番か!という思いです。
ついひと月前、未曽有の豪雨で多くの方が亡くなり、思わぬ被害に合われた方々へ心からお見舞い申します。
温暖だったこの日本で連日40度近く、けれど今世界中異常気象だとか。
この百年ぐらいで人間が緑滴る地球をここに追いやった。
若き父母の佇む古い写真には懐かしい日本の風景が・・・
あれから僅かまだ半世紀余り、今想像もつかない世界が広がっています。

二十五年も前、旅したモロッコのサハラ砂漠近くの田舎町ワルザザード・・・
大きくターバンを巻きジェラバを着た男のパソコンを使っている風景が不釣り合いで可笑しかった。
その後PCはアメーバーのように広がり、そしてついに”アラブの春!”北アフリカに改革の風が吹き荒れました。
私を魅了し、それから何回となく訪れた北アフリカの街々のカイロにチュニス、フェズetc・・・
あの大地では朝もやの中コーランで目覚め、
赤い夕陽が空を染めるまで荷馬車の車輪のように時はゆっくり流れていた。
数年前のテレビの画面に私がぷらぷら歩いたあの街並みに怒った群衆が溢れ、砲弾が飛び交った。
情報は今では良くも悪くもクリック一つで世界中に発信、
あの時チュニスで起こった改革の風は北アフリカ全土、中東に、広がり・・・そして思わぬ方向に流れ
今は過激なイスラム国が席巻し、女独りでは行けない街々になりました。

カイロのタハリール広場近く、安ホテルのエレベーター横でダンボール敷いて寝泊まりしていた青年等
靴とTシャツをあげたら本当に飛びあがって喜んだっけ。
あの時彼らは田舎から出て来て仕事を探してると言っていたけど、きっとあのデモに参加したのだろう。
チュニスの大きく育った街路樹の葉陰をそぞろ歩き、乗り合いワゴンでいろんな田舎町を訪ね歩いた。
チュニジアのスースから出た砂漠でのキャンプ、
ラクダ引きのアリが嫁代わりのラクダと一緒の写真を撮ってくれ・・・と言ったっけ。
音のない世界に肌色の砂丘が何処までも広がっていた。
モロッコのトドラの谷のナツメヤシの群生地を歩きながら
夢を語り合った若きホテルマンやモルタニアの物静かな地質学者・・・
40過ぎて始めた一人旅であの頃私はよく北アフリカを歩きました。
そこで知り合った若者達・・・
思えば私のようにぷらぷら独り歩いている女には会わなかったなぁ。
それがイスラムの社会の構造だったのだろう。
何処にも矛盾はある。一つそれを解決すればまた新たな矛盾が生まれるのが社会という物らしい。
旅人とそこに暮らす人の社会の背景は大きく違うけれど、
あの時拙い言葉で人生を語り、笑い合い、交わし合う心は通じていた。
この改革の嵐の中で彼らはあれからどんな青春を送ったのだろう。

習性で何時も早朝のまだ明けやらぬ頃目覚め・・・この一時、薄明りの中で私は映画を観ます。
二時間のエスケープは旅のそぞろ歩きにも似てあの空の下に引っ張り出してくれる。
トルコ北部の小さな村のごろごろ石畳だったり、赤茶けた大地のスークだったり・・・
一期一会その時限り・・・出会った人々の表情やその時交わし合った言葉が不思議と耳に残っています。
映画が終わって辺りに朝の気配が立ち始める頃、先ほど観た映画の映像とそんな記憶が重なって
私はぼわっとまた独り旅の時間を夢想する・・・。
突然蝉時雨が始まり、向こうで夫が起きてきた気配・・・灼熱の旅先でのそんな旅情が過りました。

先ほど旅好きの友人から携帯に着信メールが。帽子を作り始めてすぐに釣った?熱帯魚の一人です。
「あなたのベルガモに来てんだけどさ、何処か良いとこ教えて…」
おいおい元気だなあ、今年80になった彼女が銀座の展示会に日参してくれて・・・(この人、なかなか日本にいない)
急に思い立ってその足でニースへ飛んで今ミラノらしい。もちろんあの年でエコノミーで!頑張ります。
「たった独り、仕事頑張って来たのよ…行けなくなるまで好きにするわよ」そう豪語する。
古い記憶を手繰り寄せメール送れば「ただで旅した気分でしょう・・・」と返ってきた。
分かる?

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