二つの壺・・・

冬を跨いで一足飛びに春?もうミモザの黄色い花がさわさわと風に揺らいでいます。

南極では18℃を観測し、ちまたはコロナウイルスで騒然となっています。

昨秋倒れて・・・手付かずのまま気がかりだった継母の家を年明けて通い、夫に手伝ってもらいようやく全て片付け終わりました。

元々物を溜め込む癖のあった独り暮らしの家に膨大な所持品・・・けれど老いから来る妄想がそこに住むことを拒否です。

介護施設に入る事になって、継母は力尽きたというように「もう捨てて良いから…」写真さえいらないという。

それでも継母がいるであろう物、捨てる物と仕分けしながら我が家に持ち込んで暮した家を空にしました。

継母はこれからとろとろと春の午後のように晩年の時間を刻んで行くのでしょう。

けれど私の方に思わぬ異変・・・封印していた物が突然溢れたように体が反応しました。

継母の住んでいた界隈は私が生まれ育った界隈でもあります。

何の恐れもなく我儘に元気で父母の温もりに身を委ねていたところ…母を失い、いろんな経緯があって私はこの界隈を思い出の中に閉じ込めました。

若い頃の悲しみや怒りの壺に蓋をして、あれから夫や子供ら、友人の愛に包まれ元気に人生を闊歩していたつもりです。

半世紀近く経って、避けていた懐かしいこの界隈に足を踏み入れて・・・思いがけずその蓋が空いたのでしょうか。

ある言葉に動揺が走り、一気にあの頃の自分に引き戻されたように動悸。

それでもすでに大人の自分は周りにそつなく振舞い・・・気を静めて車で海辺を走り家路へと、何時もの自分に返ったはずでした。

その夜ベッドに入った途端、胸をぐっと押し付けるような強い痛み…秋にもあって、あの時数分じっと我慢すればふわって解放されたな。

ネットで調べて…心臓神経症というのが当たるのではないかと自己判断です。

けれど持病の定期健診で分かったのですが、どうやら私の場合一足飛びに心筋梗塞になりかねないとの事で2月は検査入院という事になりそうです。

今までどんな事があっても踏ん張っていけたのに、この年齢では脆いもので精神的なものが体に出るんだなぁという実感です。

 

若い頃の悲しみ・・・私は二つの壺に封印をして人生を謳歌していたはず!

数年前、思いがけずその一つを自ら空けました。

その日40年もの自分の封じ込めた怒りや悲しみを一気に出していまい、体の中が空っぽになって・・・

その時も現れた症状にいろんな検査をされ、結果原因分らずとなったのですが・・・私には分かっていました。

そう、あの時今自分の中の「気」が全て無くなったなと感じたのです。

そして・・・先日、思いがけず若い頃置いてきぼりにしたもう一つの若かかった私の悲しみが瞬間胸に突き刺さりました。

幸福を探し出し満ち足りている今・・・いろんな事はあれからひょいと跨いで温かな愛で満たされていると思っていました。

けれど封印した悲しみは蓋をしただけでそこに置き去りだったのかも知れません。

あの頃、強い自分は黙して蓋をしなければいけない…と、これも私の拘り、生き方でした。

そしてこれで良かったと思っています。

けれどこうして思いがけず空けなければいけない場面に遭遇したのならば・・・あの頃の私の悲しみを今の自分が労い、そして優しく咀嚼します。

今さらながら心と体に密接な繋がりがある事を感じざるを得ません。

 

もう私に封印した二つの壺はありません。

ミモザが光の風に揺らぐようこれからの日々をさわさわと送ります!

 

 

 

 

 

 

 

 

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