コロナウィルスの世界規模蔓延!100年前のスペイン風邪もこんな感じだったのだろうか。
何れにしろ体調不良で取り止めした3月の神戸の展示会も無理だったかも・・・
そんな頃、神戸のお客様としての出会った友人Yさんから朗報あり!
健康そのものの闊達なご主人が重篤な病に倒れてから数年になります。
術後半年の頃、「今ね、姶良を通ってるねん」と突然の電話。今から知覧に向かうという。思い出作りのように二人旅を始めたのだろう。
「ならば帰りがけにぜひ家に寄って!」という事でお二人が日が暮れる頃現れました。
何年か前、神戸での展示会で夫の絵を購入して頂き、お届けを兼ねて彼女の家まで二人バスに揺られて訪ねて行った事があります。
大橋を渡れば温かい小雨に濡れそぼって瀬戸内の穏やかな家並に和みました。
晴れやかで恰幅の良かったご主人がにこやかに迎えて下さり、鄙びた町は夕暮れに溶け込んで辺りを案内されながらゆったり時が過ぎて行きました。
久しぶりにお会いした彼はすっかり細身になられて私達は言葉を濁しながら・・・あの日いろりを囲んで互いをしみじみと想いが流れて行きました。
「オリンピックまでは…ね、そう言うとんの」まだまだ遠い日に向かって声を落とし彼女はそう呟いていた。
あれからいろんな試薬を試みているという・・・仲の良いご夫婦だったから尚更不安に揺れる彼女の心境を想いました。
「あん時、ようYさんの家に行ったなぁ」何度もご主人がそう呟いたそう・・・私達は病の行く末を案じたものです。
彼女の電話は「それが不思議やねん、癌がなくなったんよ」と晴れやかに伝えた。
早期発見で軽減しているものの今も多くの人が甲斐なくその病に倒れ、その宣告にはある覚悟が必要です。
けれど私のお客様にもう一人、死の縁から蘇ったそんな方がいらっしゃいます。
私の展示会に彼女が訪れた時、付き添ってきたご主人が「ママ、きれいだよ」と彼女にそっと声を掛けました。
日本の男性には珍しく包み込むように優しい言葉、その会話が印象に残っています。
彼女に帽子をかぶせた時、「もしかしたら…」と私はそれに気づいたのです。「そう、もう全身に広がってます。」すでに手術も出来ないという。
彼女の幼い息子が先の見えない闘病生活の中で描いた力強い絵は広く評価を受けました。
数年ずっと傍らに付き添いながら覚悟はしていたもののその後彼女は愛するひとり息子の死という別れを経験していました。
彼の死後、幼かった息子をまだ手放せないかのように彼女は各地で彼の絵の展示会をしていたのです。
「休んで…」そんな言葉も届かず、息子を失った事も自分が生きている事も判然としないような時間でした。
しばらくして不思議な夢が彼女に病を知らせ、その時すでに手遅れと思えた症状に・・・
あれから彼女に人を介して息子からのメッセージがあったという・・・不思議な話でした。
「息子が守ってくれてますから」あの時彼女の眼は確信に溢れていました。
彼女の事が気になっていたのですが、その後二度ほど続いた展示会に彼女は現れず
不謹慎ですが私はやはり亡くなられたのではと思っていました。
それが昨年春、地元の展示会にあの彼女が晴れやかに表れたのです。
驚きを隠せない私に彼女は「死んだと思ったでしょう?」といたずらっぽく笑って言うのです。
確かにあれから現代医学ではなす術のない状況で悪化は進み、けれど息子さんからのメッセージに導かれ不思議な縁である治療が始まりました。
そして「もう癌細胞はないの」と。
幼い息子との耐え難い別れだったけれど、今の彼女は息子が何時も傍らにいて見守られているという実感に繋がっていました。
そんな話を神戸の友人に「こんな事もあるから…」と気休めにもならない声を掛けた事がありました。
そして嬉しそうな今回の彼女の電話です。
「そうやねん・・・」彼女も私も夫の愛をいっぱい頬ばって生きるタイプの人種です。
彼女から届いたダンボール箱にごろごろと特産の大玉の玉ねぎが春を運んできました。
不思議です。私の方も封じ込めていたものがぽんと何処かへ飛んでって、あれから風が吹き抜けたようにすっかり元気になりました。
蓋をすることで私は前に進んできました。もう忘れていたのに思いがけず空いた蓋・・・けれど開け放たれてよかったんだと思います。
置き去り密閉されたまままだ息づいていた感情はこの広い海原に拡散し、後は晴れやかな青空が広がるのみです。
今頃例年ならばもう山桜が咲いて春爛漫のニュースが出始めて・・・けれどコロナ騒ぎで今巷を人はマスク掛けで足早に通り過ぎていきます。
この地球に解決しなければならない問題が山積しているというのに、世界中の人々を混乱に巻き込みながらアメーバーのようにまだまだ広がるようです。
封印された春!地球上から一刻も早く終息宣言が出され、
せめて風薫る頃には表に表へ飛び出してこの美しい季節を歓喜できるよう願います。