お早う!と、今日は朝一でブログ更新のつもりでした。
と言うのも…私は今日で70になりました。
お誕生日・・・やっぱり何だか他の日とは違うのでしょう。何となくわくわく・・・
少なくとも梅雨入りのちょっと前、
風のそうそうと吹き渡り初夏のスモークツリーや白の愛するねむの木が揺らぎ、しっとりクチナシは艶やかな葉っぱを広げ準備中。
こんな季節に誕生日だなんて、これだけで有難う!です。
それにしても気が遠くなるような時間を過ごしてきたわけだ。
あれは私がちょうど10才、何時もの頭の中の一人遊びをしながら小学校へ登校途中の通学路でした。
細い路地を歩きながら少し高台になった学校の敷地が土手になっている辺りで・・・
何かのきっかけで「自分は1950年生まれ」と認識したからでしょう、
「2000年」と言う稀な区切りに私は50歳で立ち合えるのだ!
そんなある高揚はたちまちその先の途方もない時間の長さにくらくらと目まいがして、
ランドセルを背負ったまま傍らの土手に生えている雑草を掴んだ記憶がまだまざまざと残っています。
「のぼせ者・・・」という言葉がありますが、小さい頃からきっと私はそんな類の子だったと思います。
10歳の子にしたらそんな途方もない長い時間をするする生き抜いて、更に20年も経ってしまった訳です。
若い日々の自意識や野心もどきは現実という壁に脆くも崩れながら、あの頃考えもつかなかった良い時間を今泳いでいます。
私達の年齢になると、人生のピークはすでに超えたのかも知れませんが・・・
その分深い感慨という豊かなご馳走がもらえるようです。
今外のデッキで絶え間なく鳴っている風鈴のように、、良い時間を過ごしてきた幸福感が心地よく耳に響きます。
自分が何者なのか…自分探しをあくせくしていたはずなのに「私は私…」他愛もなく単純な答えでした。
素直な子ならばすんなり辿り着く場所でも、私は結局回り道や道草をしなければ私ではなかったのかも知れません。
単純で執拗、もったいぶったり開き直りのドサの女役者・・・こんな女にもってこいの我儘男。彼とは50年近くも過ごした訳です。
三女の婿殿・・・娘に責められ同じく開き直りの台詞が「安かろう、悪かろうを(自分のこと!)貰っといて何言ってんだ!」さすが我が家の婿殿です。
今子供世代があの時の私のように、懸命に自分の人生を模索中・・・探すことでしか自分の道はできないんだよね。
人生を人を愛し、フル活動しながら辿り着いたのはあの土手のある場所からそう遠くはない海辺でした。
コロナが蔓延し、友人が病に見まわれ・・・けれど少しづつ良い風が吹いてきたようです。
友人は自分の今の状況を緩やかに受け入れ、その先がどうであれ私達は以前のようにまた互いに笑い合います。
突然舞い降りてきた「終わり」という物への向かい方を友人を通じてみたような気がします。
あと5,6年かもしれない、否、長々10年超すかもしれない・・・でも私達は「自分」のままでゆるゆると不良?やりながら生きていきます。
昨年のクリスマスに「T家に繋がる人々…」という物語をプレゼントと共に子供ら家族に添えました。
三代前から始まる祖父母など私達家族の名もなき一人一人の物語です。
やがて土に帰る・・・けれど彼らの足跡はDNAという形で脈々と私達に流れ今の私達の気質として潜んでいます。
私が受け継いだDNAも人生で開墾し、また新たなDNAとして次世代へバトンタッチして行くのでしょう。
生きている事が愛しくなるような…私達の中にそんないろんな人の想いが流れている事を記しておきたかったのです。
こうして人は少しづつ何かに向かって準備をしていくのかも知れません。
世の中に差別や矛盾が蔓延って・・・それに小さく抗いながら辿り着いた自分らしいささやかで豊かな幸福。
素敵です。
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これを書いてすぐ、夫と大喧嘩に!
他愛もない傲慢男としつこい女の応酬に発展し…
その夜、子供らからの「ハッピーバースディ」コールに事の顛末を言えば
「家出しろ!」「大体ママが甘やかしすぎ!」そんなもんだ、世の中の査定は!
私、ほっといてくれたらずっと幸福な女でいられるって美徳?を持ち合わせているのに
わざわざ70の誕生日に泥足で踏みにじり、結局詫びを入れる男と約半世紀も暮らしてきました!
素敵な誕生日でした!!