日々夥しい感染者の報道、どうやらコロナ禍も第三派に入ったらしい。
つい先日までアメリカの大統領選に一喜一憂、バイデン氏当確でようやく胸を撫で下ろしたと思ってたら
遂にまた予告されていたコロナの波が・・・
手ぬるく見当違いの政府の対応に怒ってもこんな田舎じゃ届かずため息ひとつ、きれいな秋空を見上げます。
巡り来る季節は何時もと変わらず美しいのに、世界中をまたいっそう強いコロナの恐怖が飲み込んでいきます。
もう何年前だろう、サーズウィルスが発生したあの頃たまたま神戸の展示会でした。
人通りががらんとしてすれ違う人がみんなマスク・・・とても異様でした。
孫のあお君は表に出る時ちゃんと小さなマスク!それが幼い彼の日常になってしまっている。
それが今世界中の姿です。
このコロナ禍に耐え切れず多くの人々が店を閉じ仕事を失い、先の見えない明日を探しています。
早春に駆け抜けたコロナ席巻が晩秋から再びまた猛威を放っています。
毎年巡りくる美しい季節の中で、皆どうにか上手くこの波を切り抜けて・・・と願うのみ。
私の仕事もそんなこんなで結局一年間お休みでした。
田舎の海辺に暮らせばコロナ蔓延からも遠く、申し訳ないくらいのんびり過ごしています。
そんな中「今日も出来なかった…」日々巡る後悔・・・
毎日僅かの運動と質の良い食事・・・私の持病にとってたったこれだけの事なのにそれが出来ない!
「忙し過ぎるから!」・・・この言い訳で15年通してきたのですが、もうそれは通りません。
お料理は食に煩い夫のため、そして何時の間にかそれを作る時間が私のリフレッシュタイムになったから否めない!だからほんの心持、少し食します。
けれど運動は…これはいけません。自分を律して汗かくなんて!どこが楽しい?
私は誘惑・快楽にはごろにゃんとすぐ懐く癖に、人目に付かない地道な努力が出来ないんです。
この15年猛烈に働いて旅して…その精神の喜びは不本意ながら、ただのぶ厚いラード?となって備蓄していました。
春・夏と思わぬ出来事で慌ただしく季節を駆け抜け、秋になってようやく二人だけの生活になり夫はまたキャンバスに向かいました。
家を一歩出れば河川敷から松林に通じ、そこには青い山々と穏やかな海が広がっています。
けれどこんな美しい場所に住んでいて、買い物以外めったに外へ出ません。
何しろ私は基本、享楽的引き籠りです。我が家に宇宙があります。
木々は大きく育ってさわさわと風を運び、季節の草花が咲き乱れ、トンボや蝶が迷い込み蟹さえ遊びにやって来ます。
だから家にいてたまに猫を撫ぜて・・・独り遊び大好き人間なのです。
何時もは家にいれば暗くなるまでアトリエで仕事!残った僅かな時間に好きなものに没頭・・・「あぁ一日が30時間あれば!」とやりたい事は山ほど!
けれど今回は自分への言い訳が通りません。何せこのコロナ禍で仕事はすべてキャンセル!時間はたっぷりあるのですから。
私の頭の中に呪文が広がります。「時間はある、時間はある…」
そこへ先日友人から電話あり、「毎日散歩と食事制限でやせた!素敵よ…」だって。
このコロナ禍での「時間」は私への贈り物じゃないか・・・だからついに一念発起!
ずっと気になっていた家のペンキ塗りと散歩です。(フランス語はまた挫折…)
表が明るくなるのを待って、朝7時家を出ます。家の横はもう河川敷・・・ひょいと階段を上がればそこには朝もやの海が広がります。
初日、家から海沿いに30分歩いて養魚場の二つ目の池が目印・・・そこから折り返せば散歩ちょうど1時間。
朝露の降りた河川敷の雑草を横目に海沿いに歩けばちょうど朝日が昇って来たところ・・・全身に温かな朝日を浴びながら潮の香りを一杯吸い込む。
いろんな憂さを夜の闇が飲み込み、朝新しく生まれ変わってまた真っさらな一日が舞い降りて来るんだ…そんな思いに駆られます。
河川敷を挟んで片側は鏡面のように滑らかな海、
湾内を囲む山々は青の濃淡に霞み、山頂の風力発電がオブジェのようにのどかに回っています。
堤防の内側の広大な塩田あとは今は養魚場となり、その水際は葦原となって良い湿地帯・・・
だから鴨、ひよどり、ごい鷺、海うなどがのどかに餌を唾んでいます。
歩き始めてまだ3週間・・・ここに暮らして30年なるのにこんな美しい朝をずぼらな私は見無過ごしていました。
だからと言って今更人間が変わるわけではないけれど、
齢70にして「朝は何処から来るかしら…」という童謡のように今眩しく朝を体感しています。
うっすらと汗をかいて家に帰り着く頃、ようやく人の家々に朝の気配・・・まだT氏は眠りについてるはず・・・
とんとんと河川敷の階段を降りてくれば大きく育った白のねむの木・ルドンがぽんぽんと咲いて迎えてくれます。
清々しい達成感!さぁ、今日もペンキ塗り・・・梯子掛け一心不乱に壁塗りです!
労働者の一日は健康です!