松林の風・・・

2021年・・・この一年、パンデミックに慄く頭上を季節は同じように巡って暦はまた新しくなりました。

水仙の香りが流れ、早い椿がぱきんと咲いて・・・けれど正月のしめ縄にもどこか晴れやかさが欠けて見えます。

日本人の特質でしょうか…昨年春のあの緊張感は遠く、今またコロナ蔓延がおそろしい勢いで拡大してます。

この不安を煽るように香港の市民による自由への叫びは羽をもがれ、

アメリカのトランプの雄たけびはツイッター越しに拡散し、遂に民衆が議会へと雪崩れ込むなんて・・・

国家統制と言う第二次世界大戦前夜を彷彿とさせる身勝手なポピリズムが

ひたひたと世界に浸透し、再び逆行へと向かっているかのようです。

 

もう十年ほど前、仕事で東京に出向いた私は独り暮らしをしていた末娘と地下鉄に乗っていました。

一つ席が空いたので私は座り、何とはなしにちょっと離れて立っている娘を眺めました。

つり革に掴ったまま車窓を眺めている娘・・・それがずっと何処か不安気に佇んでいるのです。

幼かった頃の末娘を思い出しながら「何が不安なんだろう…」と気になり、後でそんな話をすると

「ママ達の時代は不安なんてなかったでしょう?でもこれからの地球・・・」そう言うのです。

確かに…私達の世代、青春を阻むものは何もなかったし言いたい事を言ってきた。

あれから夢を手に入れた者、そこに辿り着けなかったにしろ選択も努力できる土壌もあったからそれなりに折り合い付けた自分の人生に納得しています。

けれど娘世代には自分たちの未来に漠とした不安が広がってる…と言うのです。若者の思いもよらぬ答えでした。

第二次大戦後の焦土化した大地から立ち上がった大人達…

それを背景として声を上げ自由を高らかに歌った私達、そしてそんな世代が育てた子等です。

その若者達が、希望に溢れているはずの若者達が…不安を抱えながら未来を見つめているなんて。

世界は今疫病に慄き、固く門を閉じ・・・社会には未だに差別・偏見・貧困が蔓延しています。

私達は痛みを伴った歴史から何を学んだのでしょう。

平和に慣れ過ぎて、それが浸透している事にうすうす気づきながら

私達は瞬きするだけで見逃してきたのでしょうか。

人生の黄昏に眩い夕陽を浴びながら「良い人生だったね」と沈むつもりだった私達世代・・・それで良いの?

 

海辺の早朝散歩の途中…小さな神社前の防波堤に時おり一匹の白い猫がぽつんと朝日を眺めています。

散歩する人々に「しろちゃん…」と声を掛けられているこの猫はどうやら野良らしい。

以前ならもう我が家へ連れて行ったはず・・・けれど最後の飼い犬の命が終わった時、私達の年齢を考慮しそれは辞めました。

それに誰かが餌をあげてるらしく人慣れしていて痩せてもいません。

けれどこの季節、吹きっ晒しの神社には身を寄せる場所など見当たらず・・・この寒さです。

だから周りのご批判、ひんしゅく承知で私はしろちゃんのハウス作り・・・

敢て「神社の白ちゃんの家」と書けばそれを捨て去る人もいないだろうと打算。

赤い鳥居脇の植え込みの根方に小さな箱ハウスを置いて海風に飛ばぬよう重石と座布団・・・

その箱ハウスの奥に餌箱を入れてやればしろちゃんは恐る恐る入って行きました。

通りかかった散歩のお爺さんが「その子はね…この間よっぽど寒かったんだろうね、土手の土を掘ってうずくまってたよ」と。

やっぱり・・・そう思ってた時、横を犬を連れた同世代の女性が私の事をいぶかし気に直視し、

どうやら事の次第を察すると私を振り返り睨みながら通り過ぎました。

「そんなにしたければ、あなたかが飼いなさいよ。迷惑なのよ」目がそう語っていました。

両者の意見があるのは重々承知です。けれど世の中どんな時世でも規範の社会からあぶれた者はいます。

寒く、ひもじく、寂しく…そんな痛みを知る者、それが小さな命であっても同じです。

ここを通り過ぎる人のささやかな温もりが今までこの猫を育てました。

それが大事ではないですか?

以前、すぐ目の前に広がる松林にホームレスらしき人が二人、それぞれに小さなテントを張って暮らし始めました。

住宅地から少し離れて、遠浅の海が広がるこの松林には気兼ねなく使えるトイレとシャワー施設もあったからでしょう。

朝日に輝く浜辺に出ると、そこに勝手にテントを張って暮らしているとの後ろめたさもあったのでしょう、

「お早うございます!今日はいいお天気ですね」彼等は元気よく声を掛けてくれました。

散歩に行き交う大方の人は戸惑いながらも「お早うございます」と答えていました。

中には「これ温かい内に食べて…」と鍋ごと差し入れる人も。

けれど何時しか苦情が役所に持ち込まれたらしく、今から冬になるというある日テントは無くなっていました。

あれから彼らは何処に行ったのだろう。

あの松林に一時彼等が暮したとしても誰にも迷惑など掛かりはしない、そもそも誰のものでもない皆の浜辺だもの。

人にはいろんな事情が起こり得ます、彼等も良識のある普通の人達でした。

規範に外れているとしても寒さをしのげる一時で良いから何故片目を瞑れないの?

分かち合う温かさで互いに癒される事は一杯あるというのに・・・

戦後の混沌とした時代、だれしも貧しかった頃にはそんな想いを分け合った…

けれど社会は整備され、何時からか汚いものは排除するの気風が浸透し…

彼等のいなくなった松林に乾いた風が吹き抜けます。

 

それぞれ価値観に違いはあるでしょう、でもそれはそれで互いにぶつかれば良い、

小石を投げれば麻痺してしまった湖面に漣は立つから。

何が大事か・・・不安を抱えた若者に、引き籠ってしまった若者に、享楽に漂う若者に、口ごもる若者達に

私達は大きく声に出してこれら次世代にきちんとバトンを渡しましょう。

それが私達の責任です。

そして、津波のように世界を飲み込んだパンデミック・・・

波の引いた後こそが私達の新たな課題です。

 

あれから娘は彼女らしい青春をろ過して家族を持ち、守るべき愛の巣でただ今奮闘中・・・

あの頃の漠とした不安はそんな深い霧に立ち向かう力となったようです。

 

 

 

 

 

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