ミモザ祭り…

戦々恐々としたコロナに慣れてしまった…鬱陶しいマスク生活に馴染み、毎回手の消毒。

そのお陰か、毎年一度と言わず掛かっていた風邪にこの冬は掛からずじまい!

「Yさんが越境できなくとも展示会やりましょう!」と、遠く福井からお声を掛けて頂き長かった休業⁈一年ぶりに仕事モードです。

二月に入れば途端に三月の展示会に向けてスイッチオン…

このコロナ過でのんびりのんびり季節を啄んでる間に、春が足元からやって来ました。

来月福井で春一番、久しぶりの展示会!先ずはDM作って・・・と。

これが隠れ蓑!これさえ作って置けばあとは何処に辿り着くか・・・搬入日まで自分のペースで仕事です。

一年ぶりでアトリエに籠る日々…これはうきうきなのです。。

今日はビエナビスタかそれとも芳雄ちゃん…BGMに乗って手仕事はどんどん楽しくなる!

傍らで「う~ん、分かってきた!」の高揚の後やって来る夫の躓き・・・すると何時ものキャンバス作りが始まります。彼の逃げ道です。

それでも二人アトリエに入っている事が楽しい!

窓の外はこの陽気で冬枯れの庭から一転、幾種類もの椿が咲き乱れ贅沢に部屋を飾ります。もう雪柳も咲きました。

そして・・・裏庭のデッキ脇で大きく育ったミモザに今まさに黄色い花が鈴なり、ゆさゆさ枝をゆすっています。

「向こうではね、ミモザ祭りってあって道を歩いてる人にもミモザを配るんだよ」

30年前我が家で初めて渡欧した夫がそう言った・・・そうか、ミモザは春到来の印なんだ。

あの時夫が「お土産…」とニースの海岸で拾った丸い小石を娘達と手のひらに乗っけて遠い異国に想いを馳せたっけ。

あれから私も娘達も異国を彷徨うようになり、いろんな国の春を知りました・・・でもこのコロナ過で旅好きの私が今は足踏み状態。

だからせめてご近所に春のおすそ分け・・・幾つものミモザの束をくくりました。

 

寒の戻りがあり、もう春近しと行きつ戻りつのこの時期に母が亡くなって…50年になりました。

あの若い日から長い長い時間を歩いて来たんだなぁと思います。

友人の誕生日でもある13日、その母の命日に両親の故郷・川辺まで夫と二人車を走らせ墓参りに。

母に死の予感などなく、あの日もその友が私の家にやって来ていたんだ・・・

ハンドルを握りながら毎回母の逝ったあの夜の事が鮮やかに蘇ります。

街を外れ山並みの移り行く伸びやかな景色「何時まで来れるのだろう…」と思わず呟きます。

両親の育ったのどかな田園の里、それぞれ数件の家に伯父達を見送った女独りがぽつんぽつんと残りました。

その内の一軒、母の実家は人の気配がないまま・・・

覗けば何時も元気な叔母がカーテンを引いたまま縁側に足を投げ出して座っていました。

母の末弟に嫁いで以来ずっと私の祖母である姑と共に暮らし、看取った叔母。

余計な事は何も言わず…叔父が早く他界した後も何時も笑って私達を向かえ入れてくれる叔母です。

「どうしたの?」不安が走り、私は声を掛けました。

私の声にふと我に返った叔母はその時涙目でした。病状が長引いているのもあるかも知れません。

けれど・・・静まり返った家で仲の良かった叔父との思い出に寄り沿い「もうこの先長くないのかも…」

あの時叔母はそんな事を思っていたのかも知れない…そう感じました。

その涙目のまま「Yちゃんが帰って来る家が無くなる…うん、元気になるから。帰りにくい家だってあるから…ね」

叔母の口からこちらの心情を見透かすようなそんな言葉を聞いたのは初めてでした。

私の母が早く逝き、そして父も・・・いろんな事情が相まってあれから両親の郷は懐かしさと少し気遣いの郷になりました。

あぁ、何も言わずとも叔母は分かっていたんだ。

この叔母が嫁いで来た祝いの日、小さかった私は開け放たれた田の字創りの広間で着物を着て踊りました。

一見穏やかな里山に暮らすという事がどんなに大変な事だっただろう・・・

人の一生を想い、この温かな叔母への感謝と共に限りある時間がある事を感じました。

季節が移り行くように僅かの物語を残し私達の生も静かに終わりを迎え、また新たな命へとバトンが繋がれる・・・

この狭間で私達はものを想い過ごすんだなぁ。

普通に生きて来た人の喜びや哀しみが温かな切なさとなって胸に広がります。

青い大きな空、春を告げる黄色い花たち・・・愛しさで一杯です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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