白い果実に・・・

また月半ばになって駆け込みブログ・・・

月一の楽しき日南詣でも済んで、後は粛々と今月後半から始まる展示会に向けてアトリエの日々。そこへ以前から私のファンだった・・・と言ってくれたK女史から大きな梨の贈り物。元来いける口でもないのに女の割にはお酒の方に心なびき、だから甘いケーキなど買うこともなく時折の甘酸っぱいフルーツが私のデザート。でもこのところ果物高くて・・・そこへ送られてきた大きな梨です。早速ご近所にお裾分けした後は良き晩餐の締めとして深夜有り難く頬張ります。

秋って季節は何故だか思い出が追いかけてくる・・・あれから果物にまつわる母の思い出が多いのに気がつきました。

(梨) 白く冷たい果肉に歯を立てると迸る果汁・・・「Yちゃん、梨は染みが付くから・・・ね。」もう70も過ぎたというのに何処からともなく懐かしい母の声が聞こえます。「ナシって染みになるのか・・・」幼い日のお出かけ着のワンピースにその果汁をこぼさぬよう言ったそんな母の言葉は梨という果実とセットとして私の中に刻み込まれているのでしょう。何故か言われた5,6歳の秋晴れの下、あの日の場所まで思い出されるのです。

(桃) 私が生れた郡元の小さな家に小さな池があって・・・その池の縁に大きな桃   が植わってた。小さな実がなるとまだ元気だった母がその桃に袋がけをしている。小さな兄と二人でそれを眺めていたのだけれど、狭かった家を広げるために池は埋められ大きな桃の木はそのまま植木屋の小父さんがもらって行った。私と兄は家からちょっと離れたところに住んでいたその小父さんの家まで桃の木に会いに行った記憶があるのです。あれから母は床につくようになり「池を埋めたからだろうか・・・」という大人達の囁く言葉が呪文のように耳の奥に残りました。

(蜜柑) 四つ違いの兄は蜜柑が大好物・・・だったらしい。多分私がまだ赤ちゃんの頃、川辺の田舎から木箱いっぱいの蜜柑が送られてきたそうな。ある日まだ幼いその兄の姿が見えなくなって、やがて日も暮れて近所の大人達は騒ぎ始めた。何処をどう探しても姿が見えない兄・・・電話もない時代、とうとう警察に届けをする事になったらしい。その時母がちょっと思い付き、もしかしたら・・・と押し入れを開けたみた。するとそこに隠していた蜜柑箱の脇で兄はぐっすり眠り込んでいたらしい。こっそり忍んで木箱いっぱいの蜜柑を次から次へと山のように食べた兄は顔まで黄色くなっていたという。

(西瓜) もう半世紀以上前、家の前の旧街道アスファルトの道路の縁がどろりと溶け出すような真夏・・・ちりんちりん自転車でアイスクリーム売りなんてめったに来ないし、その度買ってもらうこともない。まして冷蔵庫もない時代には金だらいに水を張って冷やされた西瓜が大人も子供も大好物。この季節になると人の家を訪ねる時など大きな編み目の手提げに入れられた西瓜が下げられていた。そしてこの西瓜の食べ残しとなった白い果肉の付いた皮の部分は翌日一夜漬けとなって食卓に上ったものだ。その頃腎臓病だという米屋の小母さんの見舞いにと西瓜が届けられた。利尿作用があるから西瓜が良いのだ・・・と大人達の話を聞きかじったのを覚えている。また夫と二度目の渡航のエジプトで・・・カイロの旧市街を歩いている時、とある自動車の修理工場前で3,4人の若者達が休憩らしく西瓜を頬張っていた。やぁ・・・手を上げて挨拶すると彼らが手招きする。近寄っていくと「良いからこれ食べて行きなよ・・・」と夫に油の染み込んだ手からその西瓜の一切れを渡してくれた。彼に一瞬の躊躇があったのかも知れないが「ありがとう」とその彼らの前で西瓜を頬張った。彼らが「美味しいだろう?」とでも言うように笑う。「どこから来たの?」「日本よ・・・」「へぇ・・・そりゃずいぶん遠いなぁ」和やかな旅の一コマだった・・・が、この後旅の途上、「あの時、一瞬大丈夫かな・・・と思ったんだよな。でも彼らに悪いなと思って・・・さ」異国の旅では水には気を付けていた。けれど私達はもはや柔な世界に暮らし馴れて・・・夫はその直後から十日余りも下痢に苦しむことになる。西瓜・・・と言えばあの青年達の屈託無い笑い声が思い出される。

(葡萄) 小さな頃から葡萄が好きだった。食べ物の好き嫌いの多く、気が強いくせに虚弱だった私に「甘やかせるな」という父の罵声を聞きながら母は毎朝私のためにヨーグルトを取り寄せてくれた。まして葡萄など・・・母も好きだったはずなのに欲張りな私は独りお腹いっぱいになるほど頬張る。高校をでて再び地元の学校へ行き始めた頃は一房の葡萄が朝の食事代わり。葡萄を食べるスピードが速いのはその頃からで、やがて家庭を持ち子供等と食べるようになってからも私は母のように微笑みながら子供等の果実を食べるのを嬉しそうに眺めるタイプではなかったのだろう。「あの頃ママと葡萄を食べると焦ったんだ・・・」と後になって子供等から聞いた。

(チェリー)  18年前、早期退社をしてトルコからサハラまで夫婦初めての旅。大分旅慣れてきた拓郎氏が海外で初めて独りで出来たお買い物が山ほどのブラックチェリー。イタリア・ベローナで私が所用を済まし宿に帰ると、ベッド脇にビニール袋に無造作に入れられた山ほどのブラックチェリーが置いてあったのだ。手持ち無沙汰だったのだろう、彼がホテル近辺を独りぶらぶら歩いていた道ばたでチェリーを売っていた。その露天商から小ぶりのバケツ一杯、入れてくれたからそのまま買ったんだという。自分では何一つ出来ないくせに何時も不平不満満載の夫がこの旅で初めて独りお買い物だから褒めてやらねば・・・それにしてもこの量ときたら!「このチェリー、どうするの?」呆れてそう言ったものの日本では高価なチェリー・・・イタリアの夏の心地よい風に吹かれながら食事が終わればチェリーを口いっぱい頬張り・・・ついに全部食べ終わったっけ。

(柿)  20数年前フィレンツェに長期滞在でモレナの家にホームスティしていたある日、彼女が嬉しそうに「これ買ってきた!」と見せたのが最も日本の風景に合うあの柿だった。「へぇ、ここにも柿があるの?」と聞けば「日本から来るのよ、これKAKIと言うんだよ」そのまま和名で呼ばれているのだと言う。でもすぐには食べない。彼女の大好きな柿はこのまま置いて熟熟になるのを待って食べるらしい。私はそんな甘い物は苦手なのだが、こっちでは男も女も大の大人達が甘い物に目がない。「そりゃぁ、とろとろで甘~いデザートよ」とモレナが目を丸めて笑った。

今や実家のような日南のS嬢はその時期になると私が果実で一番好きだという日向夏を山ほど買い置きしてくれて・・・もう子供等もいない今、私は頂いた日向夏を独りで山ほど食べ尽くす。レモンにも似た爽やかな香気が弾け、後に残るほのかな甘さが何より好きなのだ。果物を食べる時、何故かそんな思い出が追いかけてくるようです。

先日日南から電話があり、H氏の主治医から「ほぼ完治・・・」と言われたそうだ。余命宣告から2年半経って・・・終にここまでこれた!解放された高揚から「そっちに今から行くからレストラン予約して!」電話の向こうから弾む声が聞こえた。お食事をご馳走になった上に極上の置き土産まで・・・「贅沢・・・良い夜だねぇ」土産に頂いた極上の白子とあん肝で今宵も良い酒が進みます。400年目の皆既食と天王星食・・・二人大きな赤い月を眺めました。

 

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