春待つ海辺で・・・

2月はここ南の海辺でも寒い日々が続きます。散歩に出かける朝6時半はまだ夜が明ける直前・・・一両電車の鉄橋を渡る音がして河川敷には辛うじて名残の月がまだ昇っています。家から5,6分も歩けばもう松林なのですが・・・そこまで来ると急に気嵐の海に明るみがさしてその辺りにようやく朝の気配が立ち込みます。霜の降りた河川敷の遊歩道を独り歩けば干潟に集まる野鳥の群れ・・・時折、その中に磯ヒヨドリやカワセミといった色鮮やかな美しい鳥も見かけます。やがて小さな御門神社まで来る頃にようやく陽が昇り始め海は赤く燦めきます。

この神社まで歩いてきて、はぐれ猫のため植え込みの根方に私が置いた小さなプラスティックケース・・・その中への餌やりが私の日課となって二年半になりました。けれど雨に濡れないよう置いたそのケースから餌箱代わりに置いたホーローの器が何故か毎日外にぽんと放り出されているのです。何故だろう、誰がしたの?けれど判明しました。私が神社に現れると決まって海から飛んできた三羽のカラスが神社の屋根に停まってカァカァ鳴くのです。私を見つけるとどうやら仲間に合図を送ってるらしい。「カラスが突っついているのを見たよ・・・」とある散歩仲間が言ってなぁ。その彼らが奥深く置いた餌箱をくちばしで引っ張り出してそれをひっくり返して食べるみたいです。くちばし鋭いそんなカラスを見つけると猫たちも近寄れないのでしょう。カラスよ、あんた達は何処でも自由に飛べるでしょう、この餌はこの猫たちに!だから私は毎朝植え込み深くカラスが侵入できないようケースを押し込んで・・・それでも彼らは何らかの形ですぐ要領をマスターするらしく、これが毎朝美しい夜明けの海辺で私とカラスの攻防戦となっています。

さて今月は私の母の命日・・・あの日からもう51年が過ぎました。そしてその翌年の三月・・・私達が結婚して50年を迎えます。何と気の遠くなるような長い日々・・・母と過ごした時間の倍以上も彼と一緒に年を重ねました。私達夫婦二人とも自我が強いくせに愛を恋うる人種?ですから「何故分からないの?」と激しく喧嘩してはその距離のもどかしさが哀しかったり・・・あの若い日々が愛おしく過ります。この海辺の家に辿り着いて30余年・・・幾種類もの庭木がゆさゆさと枝を伸ばし、潮風の匂いに包まれて子供等が巣立った今、がらんと大きな家はゆったり呼吸してその心地よい波動に包まれながら夫は絵を描き私は帽子を作る。「誰も僕の絵を見てくれない・・・」若き日のそんな彼のジレンマは発酵と熟成を繰り返しながら、今ゆるゆると自足という場所に遊びます。この海の家に移り住んであの若い日のように振り切るように飛び出した独り旅が私を自由にしてくれました。彼が彼であり、私が私であると言うより「私達になった・・・」50年手探りで探し辿り着いた心地よい二人の場所です。今年も大きくなったミモザが黄色い花を付けました。もう春の気配・・・きっと彼はもうすぐ蕗の薹を見つけて台所に持ってくる。夜の帳が落ちる頃になれば二人共に乾杯!美味しい肴を啄みながら映画を観たり・・・まだ同棲時代のような日々を暮らしているのに、あれから半世紀も経ったなんて!

世界中のあちこちで今不穏な足音に満ちています。時代の自由な空気を吸って雄叫びを揚げながら闊歩してきた私達世代の幕引きがもう目前だと認識もしていますが、こうして辿り着いた我が身の至福を思いながら今向かっている世の中への義憤に針は大きく振れます。地球温暖化問題を抱えながら一年経ってまだ終わりを見せないロシアのウクライナ侵攻が世界中に影を落とし・・・そんな中で起きた東北の震災を上回るほどのトルコの大地震。この地上には人生を運命に翻弄された人々が蠢いています。

ウエハースの青年達よ、こんな世の中にしてしまった私達大人に本気で怒れ!この地球を守るため今こそ声を上げて何が大事かを唱えて!そしてもしいるならば理念ある政治家よ、失望したこの大地に大きく手を上げて!

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