残暑の怒り・・・

今日、私はまだ怒っている。                                          

新首相が決定した直後、夫と喧嘩した。保守ではない私達がそれでも最悪は免れた・・・と安堵した末の喧嘩!どうって事のない”犬も食わぬ”のあの呈である。・・・が、まだ腹の虫が治まらないのだ。一度憤怒したした怒りは次から次へと飛び火し「あの傲慢さは許さねぇ・・・」と、昔のとんでもない所からも私の怒りが飛び込んでくる。

新首相の憲法解釈を私が勘違いをしていたことが発端だが・・・「えぇ?そうだったの?」で済む話をそこから「あなたって万事全てがいい加減である!」と私を小馬鹿にした上、鼻で笑いながら「そんなわけない!」と尚しつこく言ってくる。その時点では私はまだ切れていない・・・けれど敵は更にねちっこく絡んで長々説法を始める。挙げ句の果てが「あなた・・・昔『ドプチェク、ドプチェク・・・』って放送を、まるであの時現場にいたかのような言い草で聞いたってと言ってたよね」ときた!あの「プラハの春」の事件です。そこでプツンと私が切れた!何だって・・・?半世紀前、第二次世界大戦後ソ連の社会主義一色に塗られた中から民衆が19世紀の自由を求め叫び始めたチェコ・プラハ・・・放送局が占拠される直前,当時そのドプチェク第一書記長の名を叫んで放送は切れた。当時18歳の私はテレビ放送から流れるそのニュースでの緊迫した臨場感に震えた。無残に弾圧されていく”社会”を目の当たりにした瞬間だった。当然まだ発展途上の日本も貧しく渡欧なんて夢の夢だったあの頃、私がチェコにいる訳ないし・・・それでも私の中であの放送の最後に「ドプチェク・・・」と叫んだアナウンサーの悲痛な声がまだ耳の底に残っている。社会というものの生な断面として刻み込まれた瞬間だった。あの悲痛な声は理不尽な社会構造と共にある青年らしい浪漫をかき立てた。だから忘れられないで夫に数回話したことがあっただろう。それを夫は「まるであの時チェコにいて、現場で聞いたことのように言う奴・・・」と鼻で笑いながら括ったのである。自分のことは蕩々と浪漫に浸りながら話すくせに私にはこの雑な投げ捨て台詞である。                     

元来私は癇は強いが大らかであろうとする。それでなければこんな我が儘男とは暮らせない。全てにおいて片目で「まぁ・・・いいさ」で済ましてあげている。そうだ、あげている!のだ。時折起こるのだが・・・夕べ彼の尊大な私への斬り込み方は、私の中のあのきらきらした18歳の感性をぴたぴた裸足で踏んづけるような言い草だった。私の怒りは”桜島”の噴火・・・と自認している。マグマが溜まるまでは「まぁ、良いんじゃないの・・・」と日頃汪洋にしていても一旦吹き出すともう止まらない!もうドカンと吹き上げてしまうのだ。夕べがそうだった。傲慢な女性蔑視男も長年の闘争の末・・・かなり改善されて端から人権の尊重を歌っているかのような呈でいるが、(私に限ってかも知れないが)この男の時折露呈する人を小馬鹿にした態度だけは許せない!と反旗を翻しながら、まだ成長期?と遅起きの彼奴のために朝食を作ってやるという私の甘さもいなめない。まぁ、今日小半日・・・「私は怒っている‼」呈で過ごすことにしよう。

ちなみにやはり私の怒りは小半日で幕!                                     夫は起きてきた早々、怒り収まらずブログに書き込んでいた私にこんなに卑屈な目で媚びるか⁈と言うように「許して・・・」と訴えている。夫が早めのリタイヤをした年に私の条件として3ヶ月余り「トルコからサハラまで陸伝いに旅をしよう」を彼も不承不承呑んだ。その旅の間中「もう疲れた!僕が歩けるかどうか見てこい!」とかほろ酔いの昼食後、ホテルで昼寝する彼を置いて私独りぷらぷら歩いてみようとでもすると「僕を独りホテルに置いていくなんて許さない!」と彼の昼寝中、私はホテルに拘束・・・列車バスのチケット・ホテルの手配から全て私任せで自分では喋らないくせに「あんた・・・助詞が抜けてるよ」と小馬鹿に薄ら笑う。度重なる余りの彼の我が儘さに「もう此処であなたを棄てる!」と私が言う放つと、途端、彼は謝りながら「許して・・・一週間後もまた同じ過ちを犯すかも知れないけど此処で棄てられたら僕はもう何処へも行けない。」とその都度泣きを入れてたっけ。その度私は許し、彼奴は同じ轍を毎度踏む。この50年傲慢かつ甘ったれの彼の「愛してるから僕を幸せにして・・・」の裏返しがこれだった。ただし私の爆発も吹き上げた後が続かない。二、三度冷たく無視してやるが、このゴロニャンに負けて結局また二人アトリエに入って鼻歌交じりの日々の繰り返し・・・。

さてあの荒ましく忙しかった夏の終わり・・・東京の展示会に行ってきました。末娘に無理言って「オブジェと帽子」二人展にしたお陰で娘は大変だったらしい。慌てて追加作品を作る羽目になり、彼女の家はリビングまで作業場・・・夫のUが甲斐甲斐しくお料理担当。コロナで社会が遮断される直前に娘は家を見つけて神奈川の山間の町へ越していった。整備された団地の中にあってほどよい田舎感・・・古い神社との縁も出来て子供達ものびのび育っています。不遜ながら根の無垢な夫とこっちのDNAをしっかり受け継いだ白黒付けたがる正義?の娘・・・こちらもちぐはぐながら良いコンビです。何時もなら東京での展示会の場合はこの娘宅から通いますが、今回の展示会場までは1時間30分余り・・・だから今回は搬入から在廊の5日間(次の大阪の準備で早めに帰えります)ホテルを予約。探して探して安~いホテルを見つけた⁈と思ったのですが、安いはずよね・・・と言うようなホテル?でした。でもね・・・寝るだけだから!と自分に言い聞かせして見知らぬ街をうろうろ。夜ごと懐かしき東京組と呑みに・・・この年で!です。帽子作りを始め、こうして色んな土地に様々な友人が出来ました。私が帽子を始めた時から20年近く馴染んだ方々、変わらぬ友情を有り難う!                                            

「誰のお陰?・・・」夫のしたり顔が浮かびます。

・・・・・・・・・・・・(後日)

昨夜夢を見た。私は何処かまだY氏の亡くなったことを実感できないでいましたが・・・夢で会えました。我が家には仏壇はないのですが、リビングに置いた如何にも重そうな民芸家具の飾り棚が何時も間にか我が家の祈りの場になってしまった。そこに早世した私の母の写真を飾っていたのだが、夫の父が加わり次いで私の父・・・と向こうに行った家族の写真を飾り、友人やご近所の縁あった人までそこに加わって、夕食時になると今やぎっしり並べられた写真立ての前に彼等の好きだったビールやお酒を小さなグラスに注いで祈るようになっていた。その食事前の祈りが我が家のしきたりとなっている。そこに最近このY氏が加わった。つい三月ほど前、このリビングで渡航直前のY氏と食事している。Y氏は飲めない質だった。けれど我が家の飲み会の主力メンバーで大勢の呑み客の中で独りにやりと笑いながらビールもどきの冷茶で夜を過ごした。あの日は「コロナだから・・・もう他の人は呼ばない方が良いね」と、私達夫婦と三人だけの壮行会・・・その時ふと思い出し私は彼に「ねぇ、ジャケツいらない?」と言った。随分前、夫とフィレンツェの街を歩いていてテーラー然としたお店がたまたま夏のバーゲンをやっていて半額になっていたので冷やかしで覗いたのだが、如何にもイタリアらしい素緋色のジャケツが目にとまった。その明るめな色に乗り気ではない夫を促し強引に買った事があったのだが・・・その仕立ての良いジャケツは結局お蔵入りで季節ごとの入れ替えに登場するだけだったのを思い出したのである。

絵一本でこれまでやって来たY氏・・・以前から名だたる画廊が閉じ始めていた所にコロナだった。生活も大変だろうと察してはいた。けれど彼はひょうひょうとして弱音を吐かない・・・だから私達も彼の懐事情については敬意を払い聞かなかった。

「これ、買っただけで夫が着てくれないのよ・・・」そのジャケツを寝室から持ってくると意外なほどY氏は喜んだ。早速試着してみるとサイズもちょうど良い・・・御大然の彼が若々しく華やぎ似合った。「あぁ、僕、これを着て行きます!」後日パリに住む娘がスイス滞在の彼を訪ねた時、「お父さんから貰った物はね、僕が絶対僕が買わなそうな良い物があるんだよ・・・これも、ね。」と、彼はこのジャケツを着ていたそうだ。

夫が会社を辞めた年に退職金で彼の絵を買った。その年にまたがらりと変わった絵が魅力的だった。何処か懐かしげな半裸の女が首をかしげ片手に下げた布が前を覆っている。「ねぇ、こんなポーズ・・・どうやって描いているの?」と独り者の彼に聞けば「多分母は僕に似てたと思うんですよ。だから鏡の前で自分でこうポーズ作って・・・」そう言ってその絵のポーズをしたので私達は笑った。笑いながら切なかった。離れて暮らしていた彼の母親はあの伊勢湾台風で死んだらしい。この絵はめったに会えないまま永久の別れをした母親へのオマージュだった。

そのY氏が夢に出てきた。実際は声だけ・・・私は電話で話している。電話の向こうは間違いなくY氏で「・・・そうなんですよ。」彼は何時もような何でもない会話をした。深夜の目覚め、3時ぐらいの夢だった。懐かしさの余りあれから寝付けなかった。まだ耳元で彼の生な声が残っている。今でも時折、あれって嘘で何処かでにんまり笑ってるんじゃないかと、その一方で幽霊でも何でも良いからもう一度会いたい・・・と思っていて、ついに夢で彼と会えたのである。死んでしまった本人がもうこの世にいないことを一番驚いているんじゃないかと思う。

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