月のこよなく綺麗な夜に・・・

猛暑のままもう中秋の名月も過ぎて、ようやく朝夕に秋めいた空・・・遅かった萩が咲き始めました。あの慌ただしかった夏の日々から、ようやく何時ものように朝のルーティンを熟し後はアトリエに入って仕事・・・日常が戻って参りました。東京の展示会から一ヶ月、周りは何も変わっていないかのように当たり前に陽が昇り過ぎていきます。継母が逝ってY氏の突然の死・・・そこへ先日また訃報です。

東京から帰ってきてすぐに私達夫婦は友人H氏を伴って恒例の二泊三日で日南に飲みに行った。1日目・・・日南の友人夫婦は必ずその店に私達を連れて呑みに行く。もう十数年になるだろうか、何時の間にやら私達も家族でやっているその店に馴染んでいた。つい10日ほど前の事だった。その日も居酒屋の私と同じ歳のマスターがあの夜も私達の席までグラス片手にやって来たというのに、その彼が数日経って一夜で急死したという。可愛かった夫人が自慢だったのだろう、マスターは中学の同級生だったというその奥方の若い時の写真を何時も胸ポケットに入れていて・・・それを彼からちっと見せて貰ったことがある。あまりに突然の死で奥さんのTちゃんはもう立っていられないほどだったらしい。我が身に置き換えれば・・・胸が痛む。その人にとって辛い別れも知らぬまま・・・死の直前まで日常があるのが幸福なのか、それとも別れを言える時間がある方がまだ良いのか・・・あの仲の良かったご家族の顔が浮かんだ。若い時には気付かないいろんな人生の別れがこうして打ち寄せる波のように静かに繰り返されているのを実感させられる。    

この夏で我が家の祈りの場にまた三人が増えてしまった。私は何時ものように(飼っていた犬猫まで・・・)呪文のように縁あった皆の名前を呼び、その日のご報告です。認知になって彼等の名前をもう呼べなくなるまで・・・それでなければご褒美のビールに有り付けません!

さて・・・ようやく戻って来た日常!明け方の海辺の早朝散歩で朝日を浴びながら馴染みの人や犬達までご挨拶・・・一日の始まりです。忙し過ぎたこの夏の所為で、ただでさえ樹木の多い庭はまるでジャングル!本来は花を愛でるのが仕事の夫の役目なのですが・・・彼奴は愛でるだけで草取りなんて下々のやる仕事はしたがらない。まして自分の個展も間近ともなればもう眼中にはない!夫は絵筆にお疲れで何時もながらまだ爆睡中・・・だから彼の目覚めまでまだ一時間あまり、下々?の私が汗だくで雑草と格闘です。後はシャワーを浴びてキッチンの片付けを済まし朝食の準備!今は自慢の白い合歓木ルドンちゃんも咲き誇って、ようやく庭らしい呈を取り戻し、夫が目覚めの頃には美味しい朝食も出来ていて・・・あの方は良いお暮らしです!

先日ある方から「新潟に行ってきたから・・・日本酒お好きですよね?」とお酒の贈り物が・・・。ようやく戻って来た日常の中でみっちり仕事して、6時過ぎに「ただ今!」ちょっと休んですぐにキッチンへ・・・冷蔵庫を開けてパズルみたいに献立をパタパタと組み合わせ、さぁもう一働き!今度はこれが楽しくなる‼いけない癖です。「そろそろお風呂入りますね・・・」が夫のgoサイン!「上がる頃には・・・判ってるよね」暗黙のサインです。それから彼が上がる頃にはカウンターの大きなお膳に酒の肴並べ涼しい顔して(私は今夜も勝った‼としたり顔で・・・)「今宵はこれで如何でしょう⁈」と。すると「あぁ、良いですねぇ。」と夫。ところでこのゲーム・・・勝ってるのはどっち⁈

さてそんな夜「今日は何観よう・・・」で始まるのですが、二、三日前ダニエル・シュミットの「書かれた顔」あの玉三郎を軸に舞踏家、大野一雄、俳優・杉村春子、日舞の竹原はんの半ドキュメント的に構成された映画を観ました。田舎に住んで上映映画なんて望めないけれど、ビール呑みながらこの美に酔いしれる事が出来るなんて贅沢‼カメラワークが美しく・・・伝説と言われる所以、美の洪水でした。手鏡越しに写るまだ若い玉三郎の白塗りの顔に筆が走り、その構図の美事さ!そして思わぬ時に近代の夜景を背景に崩れた大野一雄の老女が怪しげに身体をくゆらせ、粋に着物を着た杉村春子が芸を語り、その立ち振る舞いの洒脱なこと‼竹原はんは流石に歳を取り過ぎていたけれど・・・昔(勿論テレビですけれど・・・)観た竹原はんの静かなる舞い・・・しんしんと音もなく降り積もる雪を感じさせる物でした。芸一筋・・・と言われる人達の贅沢な贅沢な映像。退廃の持つ”美”を十二分に堪能させて頂きました。娘時代からあんなに大正ロマンとかアールデコの時代に憧れ、こよなくデカダンを愛する私なのに・・・残念ながら、私の気質としてその要素がまるでない。問題が起きたら一拍おいて解決しようとする!深いため息をつくとか言葉を躊躇い飲み込む・・・なんて溜めはなく、「朝日が昇ってから考えよう!」と端からポジティブなのです。残念ながら、当時もし生れていたならば私は野麦峠宜しく女工の労働ストライキで気勢を上げる側だったんだろう。昔夫の友人に言われたことがあったっけ。「私・・・60過ぎたら嫌みったらしく煙草吸うんだ!」ジャンヌ・モローのふてぶてしい顔が好きだった。何時の間にか嫌煙権はじわじわ広まり、今やあの銀幕の紫煙をくゆらす場面から世界はすっかり遠のいていた。だから・・・小うるさい奴どもに思いっきり嫌みに煙草の白い煙吐き出しながら「何か?」と涼しい顔で言ってみたかった。そんなこと言うと彼が「Yさん、駄目だよ。似合わないよ。煙草吸うって間合いのある人のもんだよ。Yさん、間合いってもん、ないだろう?」確かに‼言われちまった。自分と真逆をこよなく愛する私です。

夫の方は今日搬入です。あんなに怠惰な夫が・・・この二三日、呑んで寝ようとする時になってまたアトリエに行き、あんなに寝坊の夫が気がつけば夜が明ける前からアトリエで描いていたらしい。ただでさえ弱音を吐く男がもうヨレヨレで・・・それでもキャンバスに向かいます。今回はたまたま私の展示会と久しぶりの彼の個展が重なりました。忙しかった夏の周りが落ち着いた後・・・アトリエに入りお互い黙々と仕事をしていました。だから今回彼がどんな絵を描いているのか・・・あまり見ないままここに辿り着きました。「ちょっと見て・・・」一昨日並べられた絵・・・また彼は進化していました。そげ落とした、でもゆるゆると緊張感が漂い歌わない詩が静かに語ります。何処にも属さず「誰も見てくれない・・・」とすねた時期すら頑固に自分のあり方に拘り、彼なりの美の熟成を繰り返し彼はここに辿り着いたんだ。実態の我が儘男の片鱗さえ感じさせない良い男の良い絵でした。

月が綺麗で・・・こんな贅沢な夜、ご馳走様でした!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です