一月もあと数日・・・年明けて、今回は一年半ぶりでパリから娘一人の帰省。前回コロナで隔てられた世界から久しぶりに夫婦帰って来た際、コロナ期に転居した妹弟の家に友人等との再会などあまりに動きすぎて帰り着いて疲労困憊だったらしく・・・今回「独りゆっくりしておいで・・・」と夫Rはパスだったらしい。40になって色んな意味で個性の強いこの娘を操るのは日本人の男じゃ無理!周りは皆そう思っていたのだが・・・まんまと思惑通りRがその罠にはまってくれた。晩婚だった彼等もあれから8年・・・大らかで心優しくちょっと変わったフランス人の彼には我が家の娘はスパイス効いた美味しい餌に感じていてくれているらしい。大感謝である。
そして・・・恒例の我が家での新年会も終わりました。昨年夏突然逝ったY氏、呑めない彼の車に便乗し参加していた隣町K市からの客は無し。一人、二人とこの世を去ってぎゅうぎゅうだった囲炉裏の今年は今年はゆったり・・・帰省中の娘を入れて当然ながら今年はY氏への献杯から始まりました。前の晩の祈りの際に、私は翌日のもう二十年あまり続いた恒例のクリスマス会変じて新年会を告げ、彼にも向こうの世界から参加するよう言っていましたから・・・きっと彼はそこにいたはずです。そんな飲み会メンバーの一人・・・近くのギャラリーのオーナーSさんも今年春でそのギャラリーを閉じることになった。私が帽子を始めた頃と彼女がギャラリーを開いた頃がリンクしています。あの頃、この田舎町のすぐ近くに質の高い良いギャラリーが出来たことを喜んだものだ。「ずっと客を待つ・・・それはもう良いかな」夫亡き後、私達と同世代の物静かで欲の無い彼女が女独りで奮闘してきたギャラリーに幕を閉じる。「そう・・・そうだね。良いギャラリーだったけどね・・・ご苦労様でした。」私の方から仲間内であるこのギャラリーの最後に色を添えさせて頂こうと夫と私の二人展を願い出て快諾して頂いた。そうだ・・・私達にはこのまま元気でいられる時間はもう少ないのだと誰しも感じていた。呑み会メンバーの内、最高齢のN女史は未だに力ある艶っぽいお声で矍鑠たる風情。ご主人が夫の大学時代の教授で彼が早くに亡くなられた後、奥様であるN女史が偶然海際に暮らす私達の住まいのほど近い山際に家を作られたのだった。彼女自身教鞭を終えられた後、80半ば過ぎて独り暮らしながら今は朗読の会に金継ぎにイタリア歌劇を習っていらして趣味三昧のお暮らしらしい。この方を見ると、幼い頃お父上から「お前は並だな・・・」そう言われた話を思い出す。その頃、彼女には”並”が何だか分からなかったそうだが、ある日肉屋にお使いに出されて肉の並んだパレットに書かれた「並」を見て「あぁ、これか・・・」と、それが自分の器量の事と確信したそうな。「先生が私達の道しるべだから・・・ずっとこのまま元気でいて下さいね」N女史のカラカラと元気な笑い声が響いた。まだまだ・・・大丈夫‼
夕べ、ベッドに入ってから・・・夫が「あと4年したら僕も80になる・・・」そう言われて驚きました。確かに私達はもう70半ば・・・と公言していても、実のところその実感はないのです。ただ一年一年、日々が加算されているだけ!だからと言って今までと何処が違うの?そんな意識だったのです。当然70代の次は80代と頭では分かっていても・・・80代ってもうくっきり老人枠じゃないか!私達が後数年でこの枠⁈「いえいえ・・・周りは皆そう思ってますよ・・・」という声が聞えそうですが、ご当人には絵空事。ただ頭上を走る数字にしか思えてなかったのに・・・夕べ布団の中で驚愕しました。もうすぐ多かれ少なかれ私達に別れが来る・・・そんな事って!死ぬことより二人が別れることが辛いのです。
アトリエの私の作業台の前に、私は夫の若い時の写真を2枚貼っている。一枚は卒業制作として描いた150号ほどの大作を前に座っている学生の彼・・・傲慢でいながら何処か心許ない未来を前に座っている。一枚は映画青年としてのめり込んでいた彼の自己愛のなせる技・・・もうもうと煙草の煙に包まれて煙草をくわえたまま俯いたナリシスト的写真。その後、彼が社会人になって間もなく私達は出会った。だから、出会う僅か前の学生時代の彼を私は知らない。この2枚の写真に嫉妬⁈とでも言うような私の青春の微かな疼きがある。作業をしながら・・・ふと目を留める。そこに私の知らない彼の時間に切なさを伴った嫉妬がある。もう70をゆうに過ぎた女だと言うのに、未だにちくりと甘酸っぱいのである。あれから・・・現実では、若い時分はモラハラ傲慢夫に悲しくて抗い、闘争を重ね、団交し政権交代を果たして今に至る・・・けれどこの写真があの若い日の恋に引き戻すのです。そして・・・まだ生々しい恋の感情が底辺を流れる。すぐ耳元でショーケンが、芳雄ちゃんがブルースを歌い、顔を上げればアトリエの向こうで夫が口を固く結んだまま昔と同じ顔をしてキャンバスに向かっている。彼が早めのリタイアをし、まだ家に残っていた子供等を手切れ金と共に家から出して、給食小母さん母親業にピリオド、たった二人だけの私達の第二章が始まった。ようやく同棲時代に辿り着いて・・・何年も何十年もこうして暮らしてきたのにもう数年でこれが終わる⁈「楽しいから何時死んでも良い!」と思ってたのに・・・こんなに楽しいのに何時か、そう遠くない日にお別れがやって来るなんて‼横着で白黒付けたがるしつこさと父譲りの良いかげんさで私は人生を跨ぎ、足りなかったものは自分に帰依する。そんな自分の人生に悔いは無いけれど・・・老いたという実感もなしに私達に「決別」という終わりがあるのはやりきれないなぁ。
ドスを効かした捨て台詞を吐くくせに、甘ったれでごろにゃんの老いた猫が”老い”を前に狼狽した夜。