青天の霹靂・・・まだ春浅き日、思いもかけない大切な友人が逝ってあれからは怒濤の日々。彼女から母のように真っ新な迸る愛を受けながら・・・70半ばというのに流れるフィルムのように元気で愉快だった日々がプツンと切れた。今私の指で小さく光るSの指輪・・・仕事の合間でふと見つめる。あれから遅れた展示会の仕事を詰めて詰めてどうにか熟し、無理言って伸ばして貰った展示会も期日までに辛うじて荷を送り出せた。仕事を始めてから・・・少しづつ前の自分を取り戻しつつあると感じていた。
展示会初日の前夜・・・以前からの約束通り、何時も色んな箇所での展示会の度に駆けつけてくれるきりりと眩しいM嬢に今度はこちらが表敬訪問!彼女に会うため松山入りです。私の住んでる場所から彼女の住む町まで都合良く結んでくれる直行便は到着が夜・・・だから朝早く出発して大回りで鹿児島~神戸~大阪~松山と繋いでようやく夕刻前に着いた。呑めないM嬢が私のためにお友達に聞いてくれたという瀟洒な居酒屋のカウンターに案内され・・・次々に出される美しい器に盛られた創作のお料理と共にお酒アラカルト・・・。松山は10年ほど前、S夫婦と私達夫婦4人で巡った町。まだ春の浅い日、奥山に佇む久万美術館で思わず私の目から流れ落ちた涙・・・いきなり小泉清の「猫」が悲しいよとばかり挑むように私を捕らえたのだ。あれから夫が呟いたっけ。「一度で良いから僕の絵であなたに涙を流させたい・・・」その夜、街に降りて今はもう無いが松山の街の居酒屋「呑舟」・・・悲しい現実を背負って淡々と生きている店主のKが愛しく、あの夜エールと迷惑なキスを送りながら私はかなり酔ってしまった。そんな思い出が掠めながら・・・目の前で鮮やかな包丁さばきを眺めながらまだ若き店主の映像の方から一転して今の板場に辿り着くまでの話も興味深く、お料理を目で愛で舌で堪能しながらあっという間に夜の底に・・・。
列車で松山から久しぶりの高松!もう何だかすっかり馴染んでしまった街。今回私の都合でギリギリ期日を伸ばして頂いたのだが・・・ゴールデンウィーク直前の展示会になったために会えなかった方々、申し訳ありませんでした。でも・・・また懐かしき人々に会えた!妖艶なオーナーのN嬢も健在!そして会う度温かな笑みをたたえてた方々、今ではもう友人達!なんて良き人々なのだろう。そう、帽子を作ってなければ出会えなかった人達・・・夫の「誰のお陰⁈」って声が聞えそうだが、巡り会えてくれて有り難う!今回はSの話をいっぱいして・・・琴電に乗って少し馴染んだ街を徘徊すれば年明けて忙しすぎた日々からの解放!・・・夜ごとほろ酔いでホテルに帰りました。
展示会半ばで東京に移って・・・材料調達が主たる目的ですが、今回は特別な設定がありました。リーディングです。別れの言葉も無しに急に逝ってしまった友人Sの心根を聞きたかったのです。娘に紹介され、門前仲町の見知らぬ通りをうろうろしながら辿り着いた民家・・・階段をカタカタと鳴らして降りてきた柔らかな眼差しの女性Mさんと挨拶を交わす。多分お借りした民家の二階の一部屋といった設えの中、早速リーデングが始まる。Mさんには何の情報も無いまま、私が手短に「別れの言葉も無しに逝ってしまった友人の気持ちを・・・」と言ったところで向かい合ったMさんがガタガタと震えだした。「ものすごい勢いで紫の小さな帽子を被った方が・・・」それはもう間違いなくSだった。「彼女・・・ここにいるんですね?」私の方はもう涙・・・涙。「似合わないのよ」と言っていた彼女に私が初めて贈った紫のトーク・・・間違いなくあの帽子だ。彼女によく似合って・・・それから彼女はあのトーク帽を被るようになっていた。Sが余りに急激に上から冷気と共に降りてきたらしくMさんはガタガタ指先まで震えながら「一旦上に帰って貰っても良いですか?上の冷気が寒過ぎて・・・」と言ったのに、今度は目を斜交いに見つめたまま「いえ・・・この方がこのまま話したいと仰るから・・・もうこのまま続けます!お洒落な方ですねぇ・・・」そう言い震えながらリーデングが始まった。頼まれるまま私は展示会で訪れる街で彼女の着る服を選んで運んだ。Sはやはり此処にもお洒落して現れたんだ。「随分信頼されているんですねぇ・・・」そう、Sは手を広げ「この世にYさえいれば何も怖くは無い!」と言ってその度に私達は笑ったっけ。それほど眩しいほどの愛をSから私は受けていたことに今更気付いたのだ。Sは「いいえ、私こそ感謝してる、感謝してる・・・Yのお陰で人生が楽しくなった!」と横でがなるように言っているらしい。26,7年前にもなるだろうか、彼女は独り息子の突然死から心を閉ざしていた。薄皮を一枚ずつ剥ぐように少しづつ元気を取り戻したS。そして今年2月、倒れる4.5日前私に言った言葉をそっくりまた言うのだ。正しく彼女の言葉だった。それから私の想いを彼女に伝え、向こうからのメッセージも聞いた。Mさんを通じて知らされる数々の言葉・・・それは彼女を貫いていた精神そのままに微塵の揺るぎもない言葉だった。だから姿が見えないだけで私は此処にいるのがSだと確信していた。私達は彼女の死が早すぎた・・・と思っていたのだが「本当の彼女の寿命より楽しくて楽しくて・・・寿命まで少し延びたんですよ」ともMさんは言った。彼女が倒れる二週間ほど前・・・パリから帰国していた私の娘が彼女の家を訪ねた際、手相の話になってSは自分の手を見つめて「あたしの生命線ってちょっと短いんだよねぇ」と言ってたらしい。あれから間もなく彼女が倒れ、ICUに入ったSの担当の心臓の外科医から「Sさんの心臓はこれまで20%しか動いてなかった・・・何か気づきませんでしたか?」と聞いて私達は驚いたのだった。彼女はむしろ働き過ぎの私を心配していて、皆には彼女自身は元気そのものに思えていたのだから。
全てを言い終えた後「あら、あら・・・この方、私の横で歌い出しました!」彼女は突然Mさんの横で歌い出したらしい。私達夫婦4人は飲みの帰りに何時もカラオケに行って思いっきり歌った。歌の上手い夫達・・・歌の下手な妻達の饗宴。Sはこの時ばかりと歌の上手い彼女の夫・Hに如何にも愛しげにピタッと抱きついてうっとりとしていたっけ。お酒は弱いくせに歌うために彼女は猛ピッチで水割りを飲んだ。酔えば私も下手なりに嘯いて歌いたい歌があるのだが、そのやさぐれ感を地で行く彼女の歌に叶う者などいない!私はあっさりその道を彼女に譲っていた。Sがいなくなって・・・私達の耳には「酔いどれ女が・・・」のあの声がリフレインのようにずっと残っていた。どうやら今その歌を私達の横で歌っているらしい。それを歌ってると聞けばもう間違いなく彼女そのものだった。Mさんが笑いながら「ちょっとしゃがれた声ですねぇ」私は頷き泣きながら笑いながら「そう、あれはねぇ、煙草焼けです!ちょっと・・・下手でしょう?」そう言えばMさんも笑いながら「ちょっと・・・ね」歌い終わった途端「あなたが呼んで下さったから彼女はもっと浄化して・・・」Sはまた凄い勢いでいっそう高い上の方に登っていったらしい。何せ私達はソウルメイトらしい。違う世代で幾度も出会っているんだとか・・・輪廻転生があるとしたらこうやってまた巡り会えるんだ!リーディングが終わって・・・私が携帯に残されていた紫のトークを被った彼女の写真を探し出しMさんに見せれば「あぁ、この方、この方・・・」私はSに再会できたのだ。
「後はYちゃんに全部まかす!」彼女の言葉です。想いの残った方など、魂はしばらくは地平の下に留まったままらしい。けれど彼女のように楽しく人生を全うした人の魂は何の未練も無くすっと地上高く登って行くんだとか・・・そう、彼女は楽しくて楽しくて寿命を延ばしてまで命のカードの最後まで楽しんで逝ったんだ。良かったね!もう拍手喝采です‼ 高らかに昇天して行った彼女に微塵の曇りもなく・・・私の指に彼女の指輪が残った。そうだ、彼女の考えることは乗り移ったようにすぐに分かる。私は導かれるままこれから残された時間、私らしい私の道を歩く。それが彼女の願っていることだ。見えぬ強いパイプで何時も光を当てて貰っているような・・・そんな満たされた想いで私は東京を後にした。
あの日不思議な体験をした後・・・私の心は満たされていた。帰り着くのを待ちきれずに街角で彼女の夫・Hに電話をしたら「Sに会えたんだねぇ・・・」とHさん、泣いていたっけ。「・・・Sに会いたかったら私のように会えるのよ!」でも彼は「もっと悲しくなるから・・・僕は良い・・・」そうなんだね。愛しい人を失った彼の哀しみは計り知れない。あの時残された夫のHさんの事も心配で私は聞いたんだ。でもやはりSの言いそうなこと「・・・任す!」それは一言だった。分かった‼ 全部私に任せるんだね。OK!Hさん、ボスは私・・・私達の命はまだ続くもの、少しづつ少しづつ元気になっていこうよ。私達は人生の one teamだから。