no4  女・笠智衆と旅に出る。青い靴がパカパカ歌い、、花のフローレンスをダニに愛された女が行く…

            < フィレンツェ >

 チケットは携帯で購入…三日滞在のローマを後にして旅行客でごった返すテルミニ駅から懐かしいフィレンツェまで特急で移動。予約して置いたここの宿もB&B。サンタ・マリア・ノベッラ駅からは歩ける距離ではある。ただガラガラ重いスーツケースを引きずって歩くには遠いはずだった。綺麗に洗い流され蘇った馴染みのないドゥオーモを横切り、通りを一つ下ってアルビジ通りをアルノ川に向かって進む。ようやく辿り着いた先に宿はあった。四メールはゆうにある大きな分厚い扉の前で携帯に届いたメール通り手順を熟す。まずこの扉の暗証番号を押せばカチッと扉の錠が開いた。次は最上階に行けとある。エレベーターを探すが見当たらない。私はDを置いたままその最上階へと上がって行った。一階の高さが半端なく高いこの国の建物の上まで辿り着くのに一気には進めない。息を切らしながら最上階と思われる扉の向こうでまた一つ階段が見えた。これからあの大きな荷物をどうやって揚げれば良いのか…途方に暮れながらその上まで上がってきた。書き写したメモに「ガラス戸の暗唱番号」ある。取りあえず下に降りて行って不安げに待つDに荷を置いてここまで来るように声を掛けた。二人また息を切らしながら最上階まで登って行きガラス戸の暗証番号を押す。ドアの向こうには部屋が並んでいたが、私達の部屋番号の連絡は来ていない。ここで連絡用の電話をすれば向こうからイタリア語と英語が混ざった数字さえぎこちない英語が返って来る。その部屋番号がようやく分かったのだが、今度は部屋の鍵はないのである。もうひと組、先客がいた。ボリビアから来ていた親子で彼等も部屋に入れないらしい。この宿の担当らしき女性と何度かのやり取りの末、部屋の扉横にあるボックスの教えられた番号を推してみる。けれどドアは開かない。この旅はずっとこんなクイズが待ち受けているのだろうか…そう苛つきながらそのボックスを私がガチャガチャ触っている内にそのボックスがパカッと開いて、中に鍵が入っていた。それを先に言って欲しい…これはキーボックスだったのだ。その鍵でようやくドアが開いた。すぐ向こうで四苦八苦している彼等にも教えてあげると彼等のドアも開き、互いに安堵し笑い合った。そのまま私達が階下に置きっぱなしの荷物を取りに行こうとすると、まだ若い彼が「良いよ、僕が持ってきてあげる…」と言う。ここまで上がってくるのだって大変なのだ。強く固辞したのだが、彼はもう駆け下りて行ってしまった。慌てて私達も駆け下りていったが、その時は既に彼は重いスーツケース二つ同時に両手に抱えて「良いから、良いから…」と言って手を離さない。幾ら若者でもそれは無理…と言ったのだが、彼は日本で言えば5階ほどの階段をとうとう登り切った。上に辿り着いた時、彼は流石に大きく肩で息をしていて声も出なかった。彼等は明日ボリビアに帰るのだという。あの時、彼の名前さえ聞きそびれてしまった。その日私達の帰りが遅くなり、翌朝お礼をするつもりで部屋をノックしたのだが、既に彼等は出て行った後だった。

四日間のフィレンツェは毎日雨…柔らかな秋雨に街はしっとり濡れそぼっている。ここで私にはもう一つの目的があった。私が帽子を作る切っ掛けになった麦わら素材を手に入れるためである。四半世紀も前、この街で見つけた繊細に編まれたその麦わらに惹かれ私は帽子を作ろうと思ったのだった。あれからこの街を訪れ作り手の途絶えたこの素材を探すのが旅の大きな理由となって、夫には疎ましい私のぷらぷら旅もこれを機に公明正大な目的に裏打ちされたのだった。二十五年前、何かと理屈を並べ、私はこの街に三ヶ月近く住んだ事がある。当時、絵描きとして…と会社の早めのリタイアを望んだ夫への交換条件として私がそれを要求したのである。がんじがらめだった夫から奪い取った自由はその反動ほどに大きかった。あの時も冬に向かう今頃だった。

今回、その材料についてチャットのO嬢から既に情報は貰っている。私があと何年この仕事を続けるのか分からないけれど…とにかく探そう。翌日は計画通り、Dとは初めて別行動、私は彼女をウフィツィ美術館に押し込み、材探しへと出た。O嬢の助言が美事的中して訪ねた会社から「二週間、時間を下さい」と、ある確証を得た。巡り巡って…価格は大分高いがもうないと思われていたあの素材が手に入るかも知れないのだ。その結果は日本に私の帰国後に連絡…となったが、当然了承をし予約を入れて帰った。また手に入るかも知れない…と大きな成果に胸が弾んだまま、Dとシニョーリア広場で待ち合わせる。向こうも充足した時間を過ごしたようだ。その広場の敷石に人知れず火炙りになったサヴォナローラの処刑跡が今も記されている。昔、中世の絵巻物の中にその事件の絵図を見たことがある。あの頃と構図も全く変わらず、同じシニョウーリア広場だった。彼の唱えた質素倹約の奨励は狂信的で何日も焚書の煙が高く立ち上り、この華やかな街は一時火が消えたようになってしまったとか…その反動が彼を火炙りにまで追い込んだのだった。日本では戦時中「贅沢は敵だ」と張り出された標語にスを書き入れ「贅沢はス・テキだ」にしてしまった人がいる。抑圧された時代の中でその自由で小粋な悪戯をふと思い出した。

私はこの近辺のシエナに点在する小さな町が好きでⅮを案内する予定が、彼女はもう何処へ行かなくとも良いと言う。すっかりこのフィレンツェに惹かれているらしい。朝は宿の通り向いにあるバールでカプチーノに何種類ものパニーニ…どれもこれも目が泳ぐほどそそられ、その旨さときたら小食のDでさえ毎回完食だった。また私はフィレンツェに来る度に訪れるマリーニ美術館がある。私はここの佇まいが好きなのだ。翌日寄り道を楽しみながらそこへ行くと休館でもない筈なのにひっそりとしている。小さな張り紙に気付き、ここが今は予約制になったのだと知る。残念ながら私達はこの街にいるのが明日まで…見学は無理なようだ。せめてと入り口の窓ガラスに張り付き、ひっそりした館内の垣間見えるマリーニの馬に乗る少年にため息して見送りとなってしまった。その日、川向こうのピッティ宮殿の向かい側に私もまだ行ってなかった工房街があるとO嬢が教えてくれる。手仕事の私たち二人には興味深く半日そこを彷徨った後、アルノ川近くのトラッテリアの外で昼食。人を怖がらる事もなく小鳥が客の落ちこぼしを横で啄み、黄色く色づいた葉が風に舞って…何時の間にかすっかり秋の気配に満ちていた。

この街にDが執着している心残りのバルサミコの専門店があった。フィレンツェ最後の夜、ちょっとした贅沢を…と、そこで私達は高めのバルサミコを手に入れた。紙袋に入った裸の瓶を下げて前の晩訪れたトラッテリアへ向かう。雨が降っていたせいか、私は店の前のピンコロ石が一個抜けていたのに気付かず、そこで思いっきり転倒してしまった。瞬時に両手を突いたのだが持っていたバッグも傘も飛んでいった。その瞬間Dが「Yちゃん…あぁ、大丈夫だった」と叫びながら駆け寄ったのは私ではなく、あのバルサミコの方だった。あの時は私の手の平が痣になるほど強打したのだがDのこの思いやり⁈に二人大笑い。

この日の朝、偶然ここの宿のスタッフと遭遇。何とこの建物の外の方にエレベーターがあって上がりならば二階からそのエレベーターが使用でき、降りる場合は一番下の階まで使えると聞いたのだ。あんなに苦労して毎日上がったり下りたりしてたというのに…今更でした。

翌日、当初から大きなスーツケースは当初からフィレンツェに置き身軽になってベネチアとベローナへは行くつもりだった。けれど泊まっていたのがホテルではないため預かってくれる場所探しに手間取る。今の日本にとって全てが高いのだ。三日間預けるのに一苦労…結局駅近くにやむなく大枚払ってヴェネチアに出発。 

            <  ヴェネチア >

 海を突っ切ってラグーダに浮かぶヴェネチアに到着。ここは私も久しぶりだった。初めてここを訪れた四十代、あの頃観た映画に魅せられたからだろう、私はここを水に浮かぶ死の漂う街として彷徨いたかったのだ。迷い込んだ路地裏はあの時も表のさんざめきを遮断するように、深く潮の香りが染み付いて波がひたひたと壁を打っていた。今回ここでも宿はB&B、またクイズが始まるのだろう。ヴォバレットがリアルト橋に着いて大勢が群がる橋を渡る。やはり身軽に来たのは正解…そう言いながら住所を携帯に打ち込み経路を導かれ、着いた所が余りに殺伐とした路地だった。この街の表通りを一歩入ればこんな路地があるのは知っている。けれど宿があるには異様なほどに裏寂れているのだ。間違いではないかと何度も表の通りに回って住所の確認をしても此処なのだ。運河沿いの高級なホテルに泊まっている観光客にはこんな所に宿と呼べる場所があるなんて想像も出来ないだろう。あぁ、ここもまた例のクイズか!連絡先に電話をすれば男の声でやはり此処だと言うのだ。彼が言う番号を押すとカチッとその扉の鍵が開いた。人ひとりがようやく通れるほどの細い階段をくるくる上がって行くと、このタイプの宿らしくレセプションもなく、そこで待っていたアジア系の男から入り口の扉から続く四つの鍵が手渡され、部屋に案内されて驚いた。何て素敵な部屋!あんな殺伐とした路地にこんな宿があったなんて。18畳ほどのゆったりした部屋に置かれた大きなクインベッドには綺麗にタオルが畳まれ、それぞれのベッド脇のサイドテーブルのランプといい、ロココ風なソファに優雅なクローゼットまで…入口の風情とこの部屋のあまりのギャップに恭しく特別賞をあげたいくらいの宿だった。

この麗しのヴェネチアで私は夜ごと夥しい箇所に痒み止めの軟膏をただひたすら数えながら塗る。帰ってから話のネタに…と、その夜このダニ跡の証拠写真をDに撮ってもらった。

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