絶不調と紐・・・

三月の大阪の展示会から始まった絶不調…この低迷はひと月も!

三月に入ってやるべき(展示会用制作の合間に確定申告、日南詣で、友人宿泊、DMに伴うお手紙にマリオネット制作に旅のエッセイ集製本etc)を全てを熟し、ようやく滑り込んだ展示会…この大阪に辿り着けばコラボの相手のDとゆっくり大阪を楽しむつもりだった。このDと友人である事を知ったギャラリーのオーナーが「だったら、コラボで行きましょう!」が始まりで、今回で三回目。染色家のDとは帽子を始めた年…一回目の銀座のギャラリーで出会ってから二十年になる。女は捨ててるよ!と豪語の彼女と二人借りた西区にあるウィークリーマンションから歩いてギャラリーまでの道すがら、靭公園を抜ければ満開の桜!若者たちはワイングラス持ち込みで昨今の花見らしい…仰げば薄桃色の花びらが浅き春の青空に広がっている。「あぁ…Yちゃん、ここに来て花見だよ…」それぞれに忙しすぎた二人がようやくたどり着いた春を見上げました。ギャラリーにはすでに私達の作品が並び、そしてあのマリオネットまで宙づりでレイアウトされている。相棒Dの人形は「そっけない女!」の通り作ったのだけれど何故か寂しすぎる。だから大きな青いバック斜め掛けでアクセントを付けたけれど…まだそっけない。夫が「Dなんだから包丁入れたら⁈」で思い付いた。でもねぇ、バッグから包丁のぞくなんて怖い⁈女になるし…そうだ、野菜作りしている女だから大根つくろう!当たりでした。青いバッグから色気ないふさふさ葉っぱの大根がのぞいてDになりました!そのDと生意気な私が会場で踊っている。ギリシャ~イタリアの旅の写真はイタリアの洗濯干しみたいに紐にピン止めして…私のコーナーには製本したエッセイ!これで「今度はお二人の旅がテーマですからね…」が、完了!

にぎやかなオープニングパーティが終わって…夫からのメールに気づいた。「あなたに知らせるかどうか迷ったのだけれど、ミュウミュウが死んだ。」私達の最後に残った飼い猫のミュウミュウが死んだと言う。年は取っていたけれど夫に何時ものように甘えて餌をねだり、夫のいる庭で遊び…寝室前に昼寝でもするように横たわっていたらしい。その知らせはあまりに思いがけなく…私の中で何処かがガラガラと崩れて行った。何時もながら疲れ切って這うように展示会に辿り着いても、始まれば別のスイッチが入ってまた「気」が充満するのだ。けれど…今回は違った。この展示会が始まる前にSの一年忌を済ましている。この一年…母のように愛を注いでくれたS、その思いがけない彼女の死を受け入れ、残された茫然自失の夫を支えなければ…と、どんなに忙しくとも月一の日南詣でを熟し、彼女に成り代わって今までご縁ある方々に手紙を書きetc。その使命を守れた…自分なりにこの一年の間は…と奮い立たせ気を張っていたのだと思う。その一年が経ったのだ…という意識が自分の中に広がりつつあるところにそのミュウミュウの知らせだった。私達の年齢を考えればもう動物は飼えない…これが最後の猫…甘ったれのミュウミュウに死の影など微塵もなかった。今までずっと動物のいる暮らしだった。けれど何故か私の家の犬や猫は私がいなくなった時に死んでいる。今回もそうだった。あの夜一晩ベッドで泣いて…次の日、高熱が出た。会期中、お客様が訪れている間は不思議としゃんとしているのだがギャラリーを出ると寒くてブルブル震えがくる。その狭間で展示会を終え、東京へ移動…どうしても次の展示会のための東京への材料調達は必須だったのだ。新幹線で神奈川に住む娘宅に着くと咳き込みながらそのまま爆睡。今回はゆっくりなどできない。一日で全ての用を足したら翌日は帰省して…引っ越しで我が家にやって来る娘一家の泊りの準備があるのだ。翌日は重い体で材料購入のために東京をうろつき、ついに最後の材料店で倒れてしまった。

今回は自分自身そうとう来ているな…とは感じていた。翌日、夕方羽田から地元に帰り着くとすぐに彼らの寝具を用意してまた私が空港へ彼らを迎えに行くのだ。咳はひっきりなしに続いている。夫が傍らで心配はしていても彼に車のライセンスはなく…病院へ行く暇などないのである。当然、今回の私の体調など予定外の事である。我が家に一泊して娘一家は翌日引越し先の隣県へ…。日頃ならばこれくらいの密度の要件ならば難なく熟すのだが…この日ばかりはもう引越しの手伝いなど出来そうもなかった。幸いと言うか…夫の友人が「俺も手伝いに行くよ!」と以前から申し出てくれていた。娘一家にとっては昔から知っている「叔父」みたいな存在である。引越しの方は夫と彼に頼むことにして…私は家に残った。けれど彼が手伝うって事は…当然その後は何時ものように我が家に泊まり、その夜の家飲みを楽しみにしている筈だった。手伝って貰いながら「こんな事情で…」は言えない。彼らが帰り着く二時間前まで朦朧と咳き込みながら爆睡…その後私は椅子に座りながら夜の膳の準備に入った。「Yさん…具合悪そうだから…」と彼は言うものの、私が「もう料理は出来てる…」と言えばにんまり笑って「じゃあ…やっぱり今夜泊めてもらうかな…」独り者の彼は何かと我が家に来てがんがん飲み、翌日幾つものタッパーにどさんと食料を持たされて帰っていく。結局その日も同じパターンで子供らが私の体調を気にかけて「もう…無理よ。断れないの?」と、メールを寄こしていたけれど…彼奴は超ご機嫌で日が変わるまで酒を飲み、翌日重いタッパーを下げて帰って行ったっけ…。

珍しく駆け込んだ病院で出された咳止めを飲んでも…今回はふらつきが止まりません。何だか「気」がからっぽになってるなぁ…と言う感じ。多分Sの事、ミュウミュウの事…ある安堵と思いがけない別れで不用意に「気」が飛んでしまったのでしょう。だからこれまで掛かった過労の蓄積は時間をかけてゆっくりとしか体調は戻らないのだろう…と思っていました。そこに夫が思い出したのです。「K先生の”紐”を試したら?」

K先生…今年一月、彼女の訃報が入りました。15,6年も前…H市での展示会場の初日に現れ…いっぺんに10個のも帽子を買って「これ、初日に持っていけば、あなたお困りでしょう?だから終わってから私の家に届けて…」と言われたのがK先生です。何かしら只ならぬ存在感のある方でした。会期が終わって…私が書かれた住所までお届けすると「あなた、ホテルにお泊りでしょう?今から荷物まとめて!…私の別荘に行きましょう。あなたの今の体調を治すから。」突然有無を言わさぬ申し出…そのまま彼女が運転する赤いジャガーで私の泊まっていたホテルに舞い戻り横づけ!私は慌てて荷をまとめて…再び湯布院にある別荘までまるで拉致されるように連れていかれたのです。と言うのも…その時も過労が過ぎていたのか、かなり体調が悪く耳の中で自分の声がわんわんと反響を繰り返し、とてもこのまま展示会は無理と思われたのだけれど初日だから私がいなければ…と言う思いで会場にいたのです。初日終わり直前…ちょうど人が途切れた時ふらりとこのK先生がやって来たのです。そして思わぬ数の帽子を指さしながら「あなた…今体調悪いわね。良かったら後ろ向いて…」そう言いながら私の背中に手を当てたのです。温かな何かが流れてきたよう…その後不思議とあの体調の悪さが胡散したのです。あれから…休むつもりの展示会に私は毎日出れたのです。そんな経緯があったので…まだ彼女が何者か分らぬまま、拉致されるようにとっぷりと暮れた湯布院の彼女の別荘に辿り着きました。とにかく有無を言わせぬ佇まい、従う外ないのです。「あなたの弱い所はね…ここ。」言われるままに私はそのツボから汚水を出すイメージを想念する。すると「そう…それで良いのよ。はい…%、はいOK」今度は「本当は太陽の光が良いのよ。けれど今は夜だから…あの月の光を細い一本の線にして!それを私が言ったそのツボに入れて…」訳の分からないままここまで連れて来て下さった事に敬意を表し…私は月の光を一本にすることに集中…イメージで言われたツボとやらに入れた。「あぁ…それで良い!はい、…%」これを彼女の素晴らしい別荘で三日間繰り返したのである。そして…ずっと母譲りの持病だと思っていた喘息がそれきり止まった。それまで吸入器なしに遠出をする事なんて考えられなかった私の暮らし…それがそれきり無くなったのです。あれから…時折私が送る旅の話などを悦んで下さっていた。先生は再婚だった。年の離れたご主人が「あなた…僕が先に死んだら寂しいでしょう?」と子供を産むことを進められても、彼女は夫以上に愛する者ができる事を拒んだ。会社の経営者だった彼が倒れ…色んな有数の国内の病院を巡っても「現代医学ではもう歩けない、寝たきり…」と診断されたのだ。それでも彼女はあきらめなかった。伝手もお金も使って…中国の鄧小平に「気」を送っていたという人物までたどり着き気功で彼を歩くまでにさせたのである。その際、その著名な気功の先生から「日本に帰ってからはあなたが彼に「気」を送るのですよ」と教え込まれたのである。寝たきりと宣言された彼が日本に杖を突き歩いて帰ってきた。それから17年…彼を見送った後、自分は教えられたこの気功を他の方にも教えるのが使命だと思ったらしい。短大で美術を教えていた彼女だったが、今度は幾つかのセミナーで気功を教え始めたのである。それ以来H市で展示会をする度に…否、離れている時も先生から「あなた…今こんな状態よ。…をしなさい!」とお電話を頂く。頭の回転が素晴らしく早く…このK先生に着いて行くのは難しいのだけれど何時もお心に掛けて頂いていた。

今年、まだ幕の内も明けない時…私達は例の日南詣で…Sの家に着いたばかりだった。そこにこの先生のご訃報が入ったのだった。金銭的には何不自由なく過ごせた先生の人生も波乱に富んでいた。凛とした強さと聡明さ、我がままな無邪気さが混然と同居して…可愛い方だった。コロナ以来…H市とは距離が出来ていたが、何時も夏と冬には律儀に先生からの贈り物が届き…私は拙いお話と手作りの物を送った。Sのいない初めてのお正月…私達が来るのを待っていた心もとないSの夫を前に、私はH市まですぐに駆け付けられなかった。著名だった先生の葬儀にはもっと親交のある多くの方々がいらしただろう。私は遅れてお花とお手紙を出した。やがて折り返し…大学の教授をしていられたという先生の妹のご主人からお手紙を頂いた。妹さんはあの頃既に認知になられていた。色んな事が先生の周りに起きていた。前回私がお伺いして先生とその妹さんのお二人に簡単なお食事を作って差し上げたら殊の外悦んで下さったっけ。お手紙を頂いて…お電話を掛ければ懐かしそうに彼が言った。「妻は今の事を呑み込めてないので…あなたの住所を見て驚きました。私の生家のすぐ近くですよ。」南にある田舎の海辺…巡り巡ってK先生と縁がありました…ね。

そのK先生の紐…以前、ある時お電話を頂き「…面白い発見よ。丹田の上に1cmぐらいの丸い紐を巻いておくのよ…」わざわざ頂いたお電話に夫がすぐに反応。私のみならずそれまでに私の夫にまで気配りを頂いて…その度夫には驚くような反応を実感しているので…先生のご指摘に彼も忠実なのだ。気功を知らない方には…ちょっと滑稽に思えるだろうその紐…その夜私達は驚くほど深い眠りに着いたのだった。しばらくはずっと内密にそれをやっていたのだが…やがて忘れていたのである。「そうね…あの紐、またやってみよう!」夫は今回も巻いた途端ずずっと何かが来たらしい。私も夫もその夜また深い眠りに着いた。

そして…また私の中に「気」が戻って来たらしい。学生時代からの友人も気に掛けてくれてデパートからお肉の贈り物…「体調悪いって言っても総菜買う人じゃないから…せめて…」と、熱き友情に感謝!搔っ攫って行く奴もいれば…心づかいの友人も持っている…どちらも有り難い事です。二日前から…また音楽聞きながら私はばりばり仕事している!先生…ありがとう!

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