大地震と夏休み…

今年春に始まって5,6,7月と三ヵ月に渡る体調不良からの脱出!長かったなぁ。この体調不良の終幕とバトンタッチするように子供らの来襲…。この春、人生の転機を図るべく隣県に越してきた次女一家…早速のお出ましです。彼らが千葉に住んでいた頃はめったに会わなかった家族…私達にとって最初の孫らももう思春期に突入⁈シングルマザーとなって家族バトルを繰り返しながらそれぞれにとって新たなハンドルを切りました。今私達の隣県に移り住んで、宮崎の人の優しさの中でゆるゆると新たな人生が展開し始めたよう。新たな温かな波の中で笑いながら…彼らにとってこの選択は”吉”のようです。さてこの次女御一行が近くなった我が家でたらふく胃袋に詰め込んで…次は末っ子一家の夏休み逗留が始まりました。何せ我が家は海が目の前…ちょっと散歩に出れば干潟で野鳥がえさを啄み、松林を抜ける風が頬をなぶる。幼い生意気な下の娘も5歳になりました。彼女が生まれる前の日の夕方…夕風が気持ちよく吹いていて…家の前にある河川敷の堤防に私は上の男の子の名前を石で書きつけました。はがれた苔の後に今もその名前はくっきり残っています。そしてその翌日女の子が生まれて…その子の名前が決まると、また私はその名をまたその男の子の名前の横に石でひっかいて付けたのです。季節が変わっても、年が巡ってもその名前は消えません。ある夏、私は遊びに来ていた次女一家の生意気な孫を叱って家から追い出したことがあります。炎天下、意地っ張りな彼女はその河川敷陰に籠城を決め込み…やがて夕方…私達の友人が遊びに来ることになっていたので私が彼女に「一時停止…」と休戦を持ち込んだのです。河川敷に行ってみればその河川敷堤防のひっかき付けた他の孫の名前の横には「帰らない」と殴り彫り付けてあったっけ…。この孫らは毎年帰って来る度、自分の名前をまた石でなぞります。朝夕の散歩者には何なのか分からないでしょう。でも彼らにとって「ヨーコとタクの海の家」で過ごした印なのです。今年はあの日生まれた女の子も自分の字をなぞりました。この河川敷のちょっと先で男の子は夫と釣りをします。ママにこそっと「お爺ちゃんが釣り師って良いよ…ね」と言ったそう。気まぐれ釣り師?もまんざらではなさそう。海水温が上がりあまり釣れなくなったけれど…たった一匹のキスを天ぷらにしてA君の御膳に天つゆ添えて出しました。誇らしそうに「え?僕だけ?」妹が不満げに「今度は一杯釣ってね」「分かった!」この海の家に越してきた36年前…大量のキスに渡り蟹がわんさか取れました。あまりに楽しくって…子供らも学校さぼって海で遊んだっけ。温暖化で海水温が上がった所為なのか最近めっきり釣れなくなってしまった。とろとろ走る二両電車が鉄橋を渡れば窓の外に広がる景色「あぁ、Nのパパがまたアロハ来て釣りしてる…」と言われてたそうな。大型犬2匹と猫13匹に子供ら四人の大家族の喧騒と笑い声を包み込んだ家…今は静かにまどろんでいます。後日…A君、2匹の大量?で兄妹それぞれにキスの天ぷらが添えられました。妖精犬?(彼らはそう思ってます)を連れた彼らの夏休み…昼間は私達のアトリエに「…入ってもいい?」躊躇のノックあり。物珍し気に入って来てうろうろ、私の横で何やら作業?を始めます。給食叔母さんは、否、婆さんは毎日大量にお料理⁈でした。一週間が過ぎると彼らは隣県に越してきた姉一家を訪ねて…そこまで私達がお見送り。とどろく関之尾の滝を見て美味しいお食事をして彼らを姉一家に引き渡し…さぁ、私達の夏休み前半終了⁈

7月は早めに月一のブログに取り掛かるつもりだったけれど…何故か自分のホームページにログイン出来ず、何度かトライしても向こうが言ってくる内容がまず分からない!頭がウニになってそのまま放置…彼らが帰ったのでようやくまたブログ挑戦です。パソコン前に「分けわからん!」と放置したのを夫がいじっている内に偶然入り口に辿り着いた次第!途中「もうそろそろブログも辞め時?…」なんて掠めたけれど、この月一日記?は十年続いているんだ。長女がまだ日本にいてホームページなるものを勧められ「そのまんまで良いのね?」と太った女のイラストを描いて「帽子作家または旅する女…」との称号まで頂き、ホームページを作ってくれた。確か末娘の結婚のあたりから始まったブログ…あれから私の想いの雫が数珠つなぎに繋がっているんだ。せっかく繋がったんだったら…最後の幕引きまでずっとやりましょう!

世の中、私達世代になると「終活…」と言って物を片づけ始めるらしい。見渡せば我が家はそんな夥しい「物」に溢れかえっているのだろう。昔から「物」が好きだった。人の垢…つまりかつて人の使った痕跡のある「物」に愛しさを感じる。骨董好きは高校ぐらいには始まったらしく…ある骨董屋の親父さんが後年「高校生のあんたにねぇ、二千円の物を『おじさん家まで運んで…』と言われたんだよ。」と言ってたっけ。想いが染みついた「物」に愛しさを感じていたのだろう。若い頃は古い着物を見つければ「どんな人がどんな想いで袖を通したのだろう…」と思いながらわくわくしながら身に纏っていた。子供らが育った40代に入り、夫を脅すように異国への旅を始めてからは色んなものを持ち帰っている。楽器は弾けないくせに音を奏でるその形に魅了されて…バラライカにトルコのサズ、ペルーのマンドリンにエジプトのタンバリン等々バンドネオンまがいやその他の楽器、壺や靴の木型やサハラの砂から陶器の欠片や銀細工、箱に収められた昆虫に焼き物のオブジェetc、その都度バッグに押し込んで持ち帰っている。だから…夥しいがらくたと思しき「物」が今も我が家に旅の名残を漂わせ並んでいる。未だにその一つ一つが愛おしいのだ。その上、本の収集まで!若い頃夫婦二人とも金もないくせに好きな作家の本は特上の装丁で!…それを買えるのが嬉しかった。子供が4人もいるというのそんな贅沢をする夫が好きだったから…お金なんてある訳ない。焼き物も好きで、子供の制服などケチってたくせに…よく集めてたなぁ。終活⁈いやいや私達まだ生身、現役です。まだ増えるかも!先日末娘が我が家に滞在して…「ママ、不良だったよね?子供が蠅のように集っているのは嫌いじゃない⁈…ですか!」とあの頃の私の行動を揶揄って笑いながら言っていた。確かに…私は同じ世代の女達と話が面倒で子供だけで公園に追いやり私は好きなことをしていたっけ。恋に突っ走り、早い結婚で…あの頃子育て?しながら自分探しをしていたと思う。4人の子供を置いて独り映画を見に行ったり、子供らに絵本を読んであげるとしながら自分の朗読に酔いしれていたのかも知れない。母となりながら私は我儘夫を前に、先ずは一人の人間として!女として!と真っ向勝負…厳然と自分探し。「私が幸せにならなきゃ子供らの幸せはない!」そんな持論で自覚足らずの母は子供ら賑やかな蠅の集団⁈と向き合っていたのだろう。有り難い事に子供らも私達のDNAを受けついだか…自分たちの人生に夢中になっていて、そこを恨みがましく追及しては来ない。それを笑う奴らだ。「ね?そんなもんだよ。」と、そもそもこっちは反省すらしてないし…。

パソコンを置いてる机横の細長い窓から夏の青空が広がっている。くっきり稜線を引いて夏山が美しい。連日考えられないほどの猛暑が続き…熊本の大地震から一週間が過ぎた。この酷暑の中で電気も水も止まっているという。地表が割れ…突然家が倒壊して何もかもゼロとなった人たちがいる。二十数年前…我が家の娘二人が展示会をしたことがある八代のカフェギャラリーがぺしゃんこに押しつぶされた映像が流れた。「小さな宝物…展」隣県までその展示会に夫の義母を連れて皆で訪れた事があった。まだ我が家にいた娘たちの未来は見えていなかった。あれからそれぞれの時間が流れた。八代からの帰り道…大口まで来ると自分の母親の出自を饒舌に語り始めた義母はもういない。あれから私は帽子を作るようになり、長女はパリで暮らし始め、末娘は今二人の子供を連れて里帰り…それぞれが自分の幸せの味を確かめながら進んでいる。天災さえなければ…自分で自分の道を切り開く。突然道を断たれた方々…どうにか今の状況から奮起して…新たな道しるべを見つけ出せるようお祈りします。

 

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