海の石・・・

Sとのあの突然の別れから季節は何事も無かったように巡っていきます。高松の展示会の後、東京でリーデングを受けて・・・Sが人生を楽しみ全うしたんだという確信が私の中で力強い歓びとなっていったようです。もう大丈夫!地元に帰り着いて6月の東京での展示会にばく進です。ずっと頭の中を巡っていた「透明感ある・・・近未来的でもエレガント・・・」このテーマに再び取り組みです。ああでもない、こうでもない・・・で、アトリエの私スペースはもう足の踏み場も無い!縮小、拡大を繰り返しながらだけれど、私なりに今回の課題は出来たのではないでしょうか。懐かしい青山のギャラリーに赴けば仕事の早いS嬢がすでに手際よく設営完了!娘世代のこの方、トーク帽には拘りがあって・・・この目線は私のある意味”鞭”。初日、早速訪れて下さった方々・・・お洒落のスペシャリストの熱帯魚群!もう私の帽子は熟知、だからこそ今回も彼等にワクワクが届けられたのか気になっていたのですが・・・今回のシリーズ、上手くいったようです。ばんざ~い!

 帽子を54で始めて今年で21年目に突入・・・私の人生の何回目かの転換期⁈夫は在宅で絵を描き、私は時折海辺の家を出て「仕事だから!」と大っぴらに地図をまたぐ。今年秋、Sとのたっての約束でコロナ以降途絶えていた旅に再び出るつもりだったけれど・・・思わぬ事が起きるものです。もう旅に出る気にはならない・・・そんな想いが巡ったのですが、やがてSとも縁あるDを連れて行こうと思い立ちました。「今年が最後・・・もう一度!」と、Sがあんなに行きたがっていたサントリーニ・・・分けて貰った彼女の遺灰をしのばせて撒いてきます。Dも密かに夫の遺灰を持って行くらしい。SとDは互いに会ったことは無かったけれど・・・どちらも真っ新な魂の持ち主で私を介して二人は繋がっていました。人におもねないDが頑張り通した人生・・・ここらでご褒美がなくっちゃ!Sの夫もその事を喜んでくれた・・・Sがきっと後押ししてくれたんだと思う。帽子を始めてこの20年・・・色んな人と出会った。今回も展示会が終われば夜ごと友人たちと呑んで・・・今は都心から遠くに移転してしまった娘宅にまで帰還!それでもぎゅうぎゅう詰めの最終電車に揺られながら、ほろ酔いで立ったままつり革頼りに執拗に本を読む!ゆったり海辺での暮らしにはないこの時間さえも楽しいんだなぁ。

 最終日、以前から「一緒に食事しましょう・・・」とKから声を掛けられていた。二、三年前・・・このギャラリーに現れた独自の装いの見目麗しき青年?がKだった。あの日、彼は何のてらいもなく私の作った女物の帽子を洒脱に被り、柔和な表情のままギャラリーを出て行った。とうに不惑を超えた筈なのに彼の目は澄んで・・・まだ青年の佇まいだった。その彼から東京の展示会が近くになればこちらから出すDMへの返礼のメールが入ってくる。まだよく互いを知らないまま、彼からのメールが届いた。「ある人に出会って20年ぶりに想いを打ち明けた・・・」と、そしてその想いが成就されたともあった。彼が未だに独り者であり、まして若い日から20年ぶりに想いを伝えたいと思う人が現れた事を今更知る。その相手は年が彼とは十も離れたまだ若い人だとも聴いた。もちろん私はエールを送った。そして次回の展示会にKはそのJを伴ってやって来た。以前、私が書いたエッセイ集を二人共読んでくれたのだという。黒目がちのほっそりした彼女には私の帽子が似合った。会場で彼は戸惑う彼女に愛しげに帽子を被らせて、やがて小さな帽子を選んで彼女にプレゼントしてくれた。私自身、この彼との確たる交流も無いままに彼女を紹介されたのだけれど、他の客の相手をしながら目に入ってくる二人の間には確かに何かが流れている。それがまだ二人の恋の始まりの初々しさと言うものか・・・それは分からなかった。その次の展示会でKが独り現れた。今彼女がある資格にチャレンジし、それがとても大変だったけれど取得できたとも聞いた。その時私から彼女へ細やかなお祝いとしてターバンをKに託した。昨年暮れは「何時かお食事を・・・」が会えないままでままで終わっている。年が変わって今回こそは・・・と既に埋まってしまった東京での日程に今回二人との会食を入れたのだ。

 それは最終日だった。二人が時間通り現れ、結局この二人に撤収を手伝わす羽目になってしまった。最後に居残った数人の知人の会話の向こうから、時折若い二人の会話が漏れ聞こえてくる。彼女を愛しげに包み込むようなKの眼差し・・・この二人に流れる空気は何かが違うのだ。何か特別でもないはずのこの二人に漂うこの温かで上質な香り・・・林檎を割った時ふわっと立ち上るあの香しい匂いに似ている・・・と思った。三人ギャラリーを出る。以前貰ったKからのメールに「食事前にある作家の個展を紹介したい・・・」とあったけれど、そこが私が滞在中の娘宅からは大分遠いと今更知ってKも戸惑っているらしいが、「構わない行こう!」と二つの点を目指す。夜のとばりの降り始めた喧噪の新宿を抜けKで降りた。若者でごった返す雑踏を避け裏通りを歩き始めた時にJの方から「Yさん・・・彼から聞いてませんよね。今から行く所について・・・ご説明しないと戸惑われると思って・・・・」何のことか分からないまま、彼女は唐突に話し始めた。彼女が以前結婚していたことは既にKから聴いている。けれど今から行くところがある書店で、そこは彼女がこれまでいた場所でもあったこと・・・つまりそこには彼女の以前の夫がいるのだという。彼女もその事を昨日彼から聞いたのだと言う。まだこの二人のことをよく知らないまま、その私の混乱に「えぇ・・・私だってKがそこにY さんを連れて行くって聴いて驚いているんです。」と。そして「そう・・・Kはこんな人・・・」そこに辿り着くまで歩きながら聴いた彼女の物語・・・。

 ちょうど話し終わって一件の店の前でJが立ち止まった。「・・・此処です。」懐かしい昔作りの木枠のガラス戸越しに趣味的な本が並んでいるのが見える。すっかり日の落ちた裏通りにこの書店だけがぼうっと浮かぶようだった。促されて中に入ればヨーロッパやアジアの上質な古い本に混ざって、半世紀も前、私が子供達に取り寄せ読んでいた懐かしい本も並んでいる。この書店の質の高さが伝わってくる。ここでちょうど個展中という作家に紹介され、向こうも以前この店の主でもあったJが現れた事に戸惑いながらも懐かしんでいる。と言うことは、レジの向こうにいた男性がJの夫だったって事だろうか・・・当然彼の方もこの状況に当惑しているはずだ。彼女自身この成り行きは想定外だったのだろう・・・それでも今日私をここへ誘ったKに着いて来たのだ。店内は迷路のように面白い作りだった。ここは以前普通の民家だったらしいが、その一部を店舗として又貸ししていたのだという。表通りに面した一、二階を貸しとして家主は奥の部屋を仕切り暮らしていたらしい。しばらく経って階下の店が立ち退き、やがて奥で暮らしていた家主までもが立ち退いたのだという。彼等はこの家の一部が手に入る度に書店を広げ改装し十数年を経て今の形になったんだとJが説明してくれる。確かに普通の本屋らしい広い空間ではなく、迷路のように繋がる壁一面に本が並んでいて、むしろここが特別な書店であることを実感させてくれる。彼女自身ここを出て以来だったのだろう、「ここは押し入れだったんですよ・・・」なめ回すよう愛おしげに見回しながらそれらの経緯を話す。本を見つけに東欧まで行ったこと、推したい作家の製本をし、時には彼女自身英語の訳を付けた。作家たちとの交流を含めそんな想いを育ててきたはずのこの大事な砦を彼女は何故出ることになったのか・・・それは分からない。この店に足を踏み入れて・・・彼女の中にずっと感じていた上質な何かがここに来て紐解けた感じがした。並々ならぬ想いがあったのだろう。

「・・・本当は此処、失いたくなかった場所でしょう?」と私が言えば「えぇ。此処を見守っていきたい想いは強かったけれど・・・お別れしたいとの気持ちとの葛藤がありました。でも・・・」彼女は言葉少なにそう言った。結局彼女は青春の大半あんなに愛しみ育んだ此処を置いて出てしまった。その反動からしばらく呆然とした空白があり、暫く経って、生きるためにむしろ180度踵を変えて今の仕事に就いたのだという。今までとは全く違う職種を選び、その新しい仕事場でJが選ばれ、猛勉強し取ったライセンスだったとも言う。あの頃何かに打ち込まなければ彼女はいたたまれなかったのだろう。「だから、あの資格だって私にとっては受験勉強みたいなもの・・・何の執着もありません。」そう語る彼女の横でKが困ったように無口のまま佇んでいる。

 Jにとって慈しみ育てたこの場所への愛と苦みを全部パンドラの箱に押し込めて振り切る事でしか前に進めなかったのだろう・・・それを知っているKが何故あの日敢えて私達をここに誘ったのだろう。私もかつてそんなパンドラの箱を持っていた。けれどそれは自分を揺るがす物を見たくないだけで、蓋の中では陰湿な感情が発酵を繰り返しているのに違いないなかった。何時かその蓋を開け光に晒さなければその痛みはずっと燻り続けるのだ。もしかしたらKは彼女のそんな重い痛みを知っているからこそ、彼女のパンドラの箱の蓋をこんな形でさらりと開け、光を当て風を送ったのだろうか。あの日・・・それが健康で無垢なKの彼女への愛ある手当だったのかも知れない。

「この本、私が推したい作家なんです・・・」私は彼女が英語で翻訳したというその一冊の本を買い、彼女もまたここで数冊の本を手にしてレジに向かった。ベルを鳴らせば客のない時は二階で製本をしているという元夫がまた降りて来た。ある気まずさが漂う。私に続いて彼女が本を差し出しながら「幾らですか。」「「いえ、・・・結構。」「いえ、困ります。取って下さい。」こんな簡単なぎこちない会話で元夫婦の会話は終わった。ここを訪れ、ずっと彼等に感じていた何か・・・彼女が手を離した物の豊かさを初めて私は知ったのだった。ガラス戸を開けると再び下町の楽しげな雑音が飛び込んできた。

 書店を出るとKが「ちょっと離れた居酒屋だけどYさんを連れて行きたいから・・・」と、また私達は電車に乗って向かった。そこは駅から少し離れているらしく、やがて店は途切れ途切れになってもう行き交う人の顔も判然としない。道すがら、また彼等の話に戻る。Kはそもそもあの書店のファンだったらしい。それまでは挨拶程度のお客と店主だった。Kがこの二人が夫婦であるのを知ったのは随分後になってからだったと言う。そしてその後彼等が別れたことも彼は知らなかった。その頃Kも転勤で東京から移動となった。東京からは乗り継ぎ地点で時間待ちがあり、たまたま彼女が働くようになった店で二人は遭遇したのだった。それでもまだKは彼女が独りあの店を出て行った事情は知らなかった。この偶然の再会・・・その時彼からもらった名刺が切っ掛けで時折二人は会うようになったらしい。そして・・・彼は20年ぶりに女性に想いを告白する事になったのだと言う。その告白をする前にKは元夫だった彼に彼女との交際のを許可を得に出向いたらしい。歩きながらJが「ねぇ、Kって驚くでしょう?こんなピュアな人、私今まで見たことない・・・」何度か呟くようにそう言った。私は、早くに逝ってしまった私達の友人、迸る水のように無垢なみっちゃんを思い出していた。彼みたいにKは破天荒ではないけれど、都会の雑踏の中で濁ることも知らず気負わず無理もせず自分のペースで歩き続けているみっちゃんなのかも知れない。彼の愛は静かに見守る愛なのだろう、真っ新な魂が彼女を包み込む。この二人に流れていたあの不思議に感じられていた空気感・・・それはこんな想いの上に成り立っていたのだ。未練を断ち切り、育てた大切な物を置いて彼女が出て行かなければならなかった事が何だったのかは知らない。けれどあれから彼女はKに出会ってしまった。ある失意を背にがむしゃらに前に向かっていた彼女にとってKは光の中を降り注ぐ柔らかな春の雨だったのかも知れない。またKにとっても彼女とのこの偶然の再会は独り浜辺を歩く男が波打ち際で見つけたガラス玉のように美しい物だったのだろう。別れ際Kが呟いた。「僕はあの本屋が好きだった。二人の佇まいが余りに素敵で・・・贈り物をしたことがあるんです。海で拾った石を添えて・・・」彼らしい話だった。

 彼等の行く末は分からない。けれど彼等が何を大事にしている人であるか・・・それだけで充分だった。三人で夜道を歩きながら私はこの話に引き込まれ、珍しく空を見上げなかった。けれどあの夜・・・ずっと温かな月の光に照らされていたように感じている。

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