二月のミモザ…

昨年来寒波は北国を席巻し、どか雪に翻弄されているらしい。先月…年が明くれば今年の抱負を思いつつ、また日常の始まりです。もう人生の後があまりないというのにこの変わらない日々…今は三月の展示会に向けて音楽掛けながらアトリエ漬けです。

ニ月という月は私の母が四十半ばで逝き、姉のようなSもニ月に逝った。あの頃病弱だった母に私達家族は慣れ過ぎていた。往診に来てもらった医師に突然「今夜が峠…」と告げられ、凍える真夜中「そんな筈はない…」そんな思いであの夜ふと眠りに落ちた瞬間、もう意識のない母の手が枕元に付きそう私の手を引いた。慌てて父を起こすと、父は裸足で飛び降りて車にも乗らず凍てつくアスファルトの道を走って病院へ向かった。あの時確かに母の手が私をゆすったのだ。あれは母親の最後の別れの印だった。あの夜の光景を今でも忘れられない。母があっけなく亡くなった。「重病だから…帰ってくるように」帰途を心配し、そんな知らせで兄は何も知らず空港からタクシーで帰り着いて…家の前に張られた鯨幕を見て兄は車から降りてこられなかった。まだ学生で両親と暮らしていた私と違い、都会で暮らす兄は母ともう一年近く会ってはいなかったろう。我儘が闊歩するような私や父と母に似た穏やかな兄の三人が百合の花のように清楚だった母を突然失って…それぞれに深すぎる悲しみに籠り、私達は互いに慰め合う言葉を知らなかった。小さな家はがらんとした大きな空洞になったまま…私は結婚して家を出ました。            

あれから55年が経ちます。この二月になるとこの夜の事がまざまざと浮かぶのです。あの頃私は私だけの哀しみに溺れていたのだろう、あの夜裸足で駆け出した父の想いを私は汲んでやれなかった。そしてあの日タクシーから降りて来れなかった兄の衝撃…私達は語れぬままそれぞれに暮らした。そしてあれから色んな事があって…ようやく私の中に人の想いというものが測れるようになり、私なりに人生の大事なもの物をひとつづつ拾い温めてきたような気がする。そんな人生半ばで姉のようなSに出会い一杯愛をもらって…母のいない埋め合わせをしてもらっていたような気がする。その彼女が昨年のニ月に突然天に召された。失ったものは大きかったけれど…あの頃の喪失感とは違う。あの若い日から戸惑いながら手探りで歩き、その都度熟成してきたいろんな想いがこうしてSと人生で巡り会ったのが幸福…失ったのではなく得たのだと諭してくれた。今は迷いなく晴れやかに天を見上げる。

先月めったに会うことのない兄が唐突に私の家を訪ねて来ると連絡があった。隣市に住む兄夫婦と私達の暮らしには距離があり、兄に懐かしさはあるもののこれまでめったに会う事はなかった。けれど私達が地元で展示会をすれば兄独りいそいそと出かけて来て嬉しそうに語っていった。穏やかだった母に似たその兄が「そろそろ終活を考えている…」と言う話だった。スポーツ好きでずっと走り続けてきた人が足の故障で遂に走ることを断念、それが終活の切っ掛けと言う。子供のいない夫婦として遠くにある両親の墓仕舞いの私達への了承らしい。その際いろんな手土産の他、兄はまた私に金のメダルを持参してきていた。昨年継母が亡くなった時にも私は「あなたには世話を掛けたから…」と金のメダルをもらい、それが昨年の旅に後押ししてくれた経緯がある。「いえ…昨年も頂いたから…」と固辞すれば「あなたには小さい頃から兄らしい事をしてやれなかったから…」と言う。兄とは三つしか違わないのに「…してやれなかった」と何故思うのだろう、私こそ…この兄の想いが切なく目が潤む。これまで幾つかの壁が私達兄妹の前にあって…私は黙々と私の道を通すしかなかった。もっとこの善良な兄と近くして笑い合って人生を送りたかったという思いが込み上げた。でも…叶わぬこともある。ただこの兄の根底に流れる優しさは母に重なり…嬉しかった。今この小金のメダルの優しさが私達の飾り棚の中でまどろんでいる。

私にとってこの二月はどうしても振り返る季節になっているようだ。これまで人生で色んな事があった筈なのに何故か小さな頃の些細な事さえ鮮やかに思い出されるのだ。母はあの頃の母親のように何時も白い割烹着を付けて火鉢にかけられた鉄瓶の湯気の向こうで笑っている。猫がその母の膝の中で丸まって寝ている。学校から帰ると母がドーナツを作っている。生地をガラスコップで、真ん中を栓で切り取っている。僅かな庭にある小さな池の淵の桃の木に袋掛けしている母…その母の匂いさえ鮮やかに匂い立ってくる。人はそんな幼少期の何でもない温かな思い出を引きずりながら生きていくのかも知れない。とすれば、私は子供らにとってどんな母親だったのだろう…と頭を掠める。私の母のように「淡く悲しきものの降るなり 紫陽花色のものの降るなり…」私は母とは短い間だったけれどそんな母のしっとりした思い出に今でも包まれている。けれど私は子供らにとってそんなあやかな優しさに染まった存在ではなかったろう。確かに言えるのは、子供らの小さい頃私は暴君だった夫に立ち向かい「私は何なのか…」もっぱら自分探しの傍らで子供らにご飯を作っていた人?だったような気がする。「家族を連れて歩くなんてまっぴら…俺に迷惑をかけるな。」そう公言する彼は絵を描く人…そんな夫に私は委縮していたのかも知れない。二人兄妹だった私は子供を好きだった訳でもないのに子供は四人と何故か決めていた。ただ子供らがぶんぶん蠅のようにたかっているのは嫌いではなかった。もしかするとあの頃思い掛けないしがらみの中にいて…あの子供らの喧騒に逃げていたのかも知れない。気難しい夫が夜勤の日は「さぁ、今日はめちゃくちゃご飯!」と言って私達は羽を伸ばしていたように思う。私はトイレットペーパーをぐるぐる体に巻き付け「あ~あ~」とミイラになって子供らを追いかけ回す。その後は「女子供と同じものを食わせる気か!」そんな小煩い一人膳の主のいぬ日、わいわい安上がりのご飯…絵本の読み聞かせと称して子供らをとっ捕まえて自分の朗読に浸っていた。そんな子供らの成長の中で私は次第に自分を取り戻していったように思う。世を憂い怒り、雄たけびを上げ、愛に涙しかき抱く…自分の道は自分で叩いて渡るしかないのだ。先ず人間であり、女で、そしてちょっと母でもある…そう言いながら猛然と堅牢に思われたあのドアを叩き割って中に押し入れば「美学」と言う旗を持ちながら狼狽えた男が蹲っていた。

私と言う奴は自分は母を甘く恋しがりながら、子供らには母親である事がお留守だったような気がする。子供達には「残念でした…ね」と言うしかない。ただ彼らが私の子供として生まれて来たのにはそれだけの意味があるのだろう。もし私が母として彼らに届けられた贈り物があるとすれば「人生は楽しめるよ!楽しんだよ!」と高らかに歌える…事だろう。子供諸君…ちょっとおかしな味の外れくじでした!

アトリエで夫と二人それぞれ仕事に向かっている時間…流れる音楽に以前彷徨った街を思い出しながら今日も手を動かしています。手を動かせばどんどん「面白い…」が湧き出て来て、あの角回ってまた回って…思わぬイメージの手仕事に出会います。「楽しそうだね…」と向こうから声が掛かる。夫の方はそうはいかないらしい…何せ潜航型の絵だもの。それでもそれぞれ浸っているこんな時間は楽しいのです。こんな風で70半ば過ぎたというのに、一向に「老い」を実感できない。確かに見た目…がた落ちです!だけど「それが何か⁈」と開き直りが顔を出す。確かにもう駆け落ち!なんてできやしない…けれど「惚れてるからする気ないし!」で封じ込める。仲間と気炎あげれば十年、二十年、いえ…ひとっ飛びして若かった頃の自分と肩組んで歌える。若ぶっている訳ではないのです。頭でわかってる「老い」に実態が追い付かない!望むところだ!見事Sのように人生のチューブ絞り切って世の中に悪態ついて笑いながら昇って見せましょう。

ミモザの黄色い花がたわわに咲いてまた春が来るのを知らせます。こんな暮らしにピリオド何て…考えられねぇ。

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これを読んだ夫からクレームあり。「まぁ良いんだけど…毎回毎回僕が暴君だった…と書かれるのが…さ」と不満を言う。「良いじゃないの…モラハラ夫だったとしてただ書かれているだけ。あの頃の私の立場はから言えばそれですんでる!」そこまで言うと「はい、はい…」と引き下がり「あぁ、何時までも昔の前科を言われているような…」と横で燻っている。

 

 

 

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