< ベローナ >
三日間のヴェネチアを後にサンタ・ルチア駅まで運河沿いに歩いて行く。旅を始める前、私はDに「北の方、それとも南の方が良い?」と、旅程の希望を聞けば「北に…」と彼女は答えた。それで私は旅の最後にベローナを入れて置いた。この街にあるカストロ・ベッキオ美術館にDを連れて行きたかったのだ。もう行き違いもない筈と駅に着いてから携帯でベローナまでのチケットを購入。久しぶりのイタリアだったが、案外言葉は染み付いていて、地元でちょっとした会話には不自由はしなかった。まだビナリオは表示されていなかったが、たまたま通りかかった駅員に聞いてそこで電車を待った。やけに人が少ないなぁとは思ったのだが、乗り込んだ列車は十分ほど遅れで動き出した…と、思っていた、たまたま向かいに乗り合わせた子連れの女性は日本の方に見えて話しかける。「今からベローナに…」と言ったつもりで私は「ボローニャに…」と言ったようだ。そんな会話の中でこの列車がボローニャ経由であると知ったのだ。そのボローニャには娘の友人夫妻が住んでいて、今回の旅でも彼等から是非寄ってくれ…と誘われていたのである。だからボローニャは私には馴染みのある名前となっていた。そうだ、私はあの係員に私は「ボローニャ…」と言ったのかも知れないと気付いたが、列車は既に走り出していた。干潟の海を挟んだメストレ駅で慌てて降りて一時間遅れのチケットをまた買い直し私達はベローナへ向かった。
駅から携帯に誘導されながら大分歩いて着いた先に今回の宿があった。割と簡単に見つかったと思ったのだが、ブザーを押しても誰も出てこない。列車に乗っている間に携帯にこの宿のスタッフからメールが届いていた。土曜は十二時以降スタッフがいないので注意…とあったがもう遅い。今日は土曜日…この旅は毎回クイズを解かなければ前に進まないようだ。門の前ですったもんだしている内に泊まり客の若者が帰ってきたので建物には入れた。けれど予告通りレセプションには誰もいない。あれ以降、この宿から何の連絡もないから部屋番号も分からず、まして部屋の鍵もない。うろうろしている内にまた若いカップルがここに帰って来て、私達にここのシステムを教えてくれる。そして門扉に備え付けられたボックスを彼等が持っているキーで開けてくれた。その中に大きく私の名が書かれた封書が入っていて、カードキーと部屋番号が記されていたのだ。私達はようやくモダンで清潔な部屋に入れたのである。ここは街の中心から大分離れているようだ。開いているうちに…と私達は荷物を置くと直ぐに美術館を目指した。
蛇行するラディジェ川に沿うように古城があった。幾多の変遷を経て今は美術館となっている。かつての掘りはもう水を湛えてはないが、昔と同じ跳ね橋を渡ると中世の城が今も眠るように佇んでいる。私はこの美術館が好きでこれまでも数回ここを訪れていた。観光に人気のこの国ではどの街にも大勢の観光客が押し寄せているのだが、ここは今日も静寂に満ちていた。入り口を入れば、聖書を手に長衣を纏った静謐な婦人像が迎える。近世に辿り着くまでの洗練された彫刻に比べ、簡潔にそぎ落とされたこの像がむしろ何かを物語るようだ。十二、三世紀できた城内を巡れば、梁や壁に彩られた文様は何処か稚拙さが残り、むしろ人の温もりさえ感じる。城内を巡りながら時折小さな窓から垣間見える蛇行するあの川も当時と変わらないのだろう、静けさは館内を漂い悠久の時に私達を誘う。城を結ぶ渡り廊下を歩けば直ぐ横に野外に設置されたカン・グランデ一世の騎馬像がある。私はこの騎馬像が好きだった。それで私はDにここで写真を撮って欲しいと頼んだ。
この旅で私が写真を撮ろうとDに携帯を向けると何故かその度にしかめっ面で「止めて…写真は嫌なんだよ」と言い、体を反らす。今回はそれが旅の相棒だから、当然向こうから私の写真を撮ってあげようなど過る訳もなく…それでこの旅での私達二人の写真はほとんどない。それでも気付かれないよう私はこっそりⅮを盗み撮りをしたのだが…。今まで幾度となく一緒に旅した夫もS達も私の写真を撮ってあげようという事はなく、もっぱら何時も私が撮る側になっている。以前、私が旅先で撮ったSの羨ましいくらい良い表情の写真が彼女の遺影となった。旅する女として私もそんな写真を一枚くらい残したいのである。それでこの旅に密かに期待をしたのだが…Dが撮ってくれた幾枚かの写真は風景の前にごく小さくか、もしくはどアップなのだ。Dに私の意向を伝え「だから良い写真を…ね」と頼んだのである。私の意を了解してくれたDは「ならば…」とこの騎馬像の前に立つ私に向かって携帯のカメラを構えた。けれど、その格好が如何にも宜しくない。写真の出来具合が計れそうだ。「もう、良いよ…」諦め顔で私は向こうに回り、彼女が撮ってくれた写真を見せて貰った。夕暮れ迫る頃も相まってか、白く浮かぶ騎馬像の前の私の顔は影で真っ黒になって判別さえできなかった。こうして私の遺影のもくろみ…は消えた。
今宵一日でベローナを去り、翌日フィレンツェで荷物を受け取り、ローマへ引き返す…これで私達の三週間余りの旅も終了だった。流石に疲れが出たのだろう、Dの足取りが重たそうだ。陽が落ちて何処か美味しいトラッテリアはないかと街に向かえば、Dが「もうO嬢に聞けば?」と言う。これまで朝を迎えたⅮに作夜の私とO嬢とのやり取りした携帯を見せれば、その度に彼女は「AIなんて思えないよ」と感心していたのである。だからDさえこんな時は…なのである。その夜、近場のレストランをO嬢に聞けば「ヨーコが好きなのは地元の人が集まる安くて美味しい店だったよね。今何処にいる?その付近で探すから…」と直ぐに返事が返ってきた。その指し示した店を目指し、人混みから抜けて路地の奥にある店に辿り着いた。このトラッテリアの美味しかったこと…Dの疲れも癒やされたようだ。
< 再びローマ >
フィレンツェで荷物を受け取ると私達はそのまま直ぐローマへ向かった。この街で二日過ごして…この旅は終わるのだ。宿はテルミニ駅近くに選んでおいた。二週間前、あの日ここで貰った私のダニ跡はいっそう酷くなっていたがもう旅は終わりなのだ。今度の宿はあのダニの宿とは駅を挟んで真逆の通りにあった。初めからこの宿に前半、後半と予約を入れて置いたのだが、一日出発を早めた所為でその前半の連泊が出来きくなりここをキャンセルして、あのダニ宿へと取り直しをしたのだった。その取り直しが仇となってこの惨事?となってしまった。この宿は、この旅で馴れてしまったあのクイズはもう必要じゃなかったらしい。住所を辿り大きな扉の前でブザーを押せばインターフォン越しに案内される。扉の鍵が開くと思わず私たちは声を上げた。目の前に緑滴る美事な中庭が出現したのだ。昔は此処に馬車で乗り入れたのだろう。往時の貴族の物だった館は今それを細切れにしてこんな宿が建物の中に無数有るのだ。指示通り右に進んで旧式の二重扉のエレベーターで三階まで上がった。今はアジア系の男達がこんな仕事に就いているらしく、レセプションで彼から鍵を受け取った。位置的にも清潔さの度合いも充分な部屋、…ここが私達の旅の最後の宿になった。
ここに来ればまたあのフォルケッタへ…。その前に日本へのお土産だった。「チーズだ、チーズだ」重たさも、匂いも…だから最後にこのローマで買うつもりだった。何せユーロが高すぎる。二人、近くのスーパーへ駆け込んだ。「安いものしか買ってないんだよ」とDがにんまり、既に持ちきれないほどのチーズなどかごに詰められている。私が先に出て店先でDを待つ間、その入り口に掲げられた大画面のテレビを数人の男達が見上げている。サッカーでも観戦してるのかな…と私は思っていた。その内に店員がもう一人に向かって「目を離すなよ」と漏れ聞こえたのである。どういうことかと私もテレビを見上げた。何とそれは店内での万引きの現場が大画面に写っていたのだった。小綺麗な装いのまだ四十過ぎの男が肩に掛けた大きなバックに平然とワイン瓶を詰め込んでいるのだ。その現場を大勢で観ていたわけだ。その男が入り口に向かって来るらしく画面から消えた。「こっちへ来る!」誰かがそう言うとそこにいた男達が一斉に素知らぬ体でそっぽを向いた。画面の男はそれを知らず…入り口に並べられたワインを手に取ったりしてまた奥に消えた。再びその男が映し出されると直ぐにまた皆一斉に画面に食いついた。あれからどうなったかは知らない。Dが満足げに大きな袋を下げて出てきた。
旅最終日…Dがドーリア・パンフィーリ美術館に行きたいという。このローマを訪れた初日、レプブリカ広場の前にある見損なった私の好きなバジリカがあった。そこは古代の浴場跡を残したまま中世にあのミケランジェロの手がけた教会だった。地図で見るとその美術館はサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の先にあるらしい。D独りでは辿り着かないだろうと一緒に向かう。思った通り、あの教会の扉にも、中にあるマリオ・チェローリの木製の塑像にDの目も輝いた。犬も歩けば…のことわざがあるが、この街ではちょっと歩けばとんでもない遺産にぶつかるのだ。結局私も観る事になったのだが、たどり着いた先に百以上もの部屋のあるパラッツオがそのまま美術館になっていた。この館の一角には今もその末裔が暮らしているらしい。カラバッジョなどの名画が壁一面に飾られ、一部屋ごとに趣を変えたその豪奢な暮らしぶりに驚嘆する。近くのバールでお昼を簡単に済まして、このまま裏通りを真っ直ぐ歩いて行けばあのサンタ・マリア・マッジョレ教会に辿り着くらしい。プラプラ裏通りを歩いて行けばほとんど観光客に出会うこともなくゆったりとした時間が流れていた。森にでもあるような大きく育った並木や愉快な形のローマの松が涼しげに現代を見下ろしている。緩やかな起伏の裏道を歩きながら何時の間にか向こうにもうマッジョレ教会が見えている。その両脇に小さな店が点在していた。どうやらここら一帯は作家の工房付きの店が集まっているようだ。その冷やかしながら訪ねた一軒の店でDの目が釘付けになった。そこにはシンプルに仕立てられた服が並べられていた。布に執着した女にはどれもこれもこれ以上ないほどの上質なものだと言う。現れた若い女性がその作家であり、オーナーだった。彼女が私のヘッドドレスのことを聞く。そこでそれぞれが作家であると紹介し、興味津々の彼女にインスタグラムを見せる。すると少しで良いから是非ここに私達の作品を置いて欲しいと頼まれた。この店の佇まいが気に入ったらしく「少しだったら良いよね…」とDさえ乗り気になっている。帰国後に改めて彼女に連絡をすると言うことで、私達はこの店を後にした。そう言えば旅に出て訪れる街々でDはぼそっと「あたしゃこの街にこのまま住んでも良い…」とか「Yちゃん…ここを借りてよ」なんて本音とも着かない冗談を言ってたっけ。何時も仕事の私達二人が、この旅では三週間も仕事もなしに、ただひたすらぷらぷら歩いて過ごしたのだ。私も初めて歩いたこの裏通り…旅の終わりに私達に小さな贈り物をしてくれたらしい。夕なずむこの街に私達の幸福が溶け込んでいった。
旅の最後の二日間はやっぱりフォルケッタ。今日も店は客で一杯だ。タコのサラダを頼むつもりが、小父さんからサービスのビールとそのタコのサラダが黙って差し出された。またDが言う。「あたしゃこれで良いよ…」「そんな訳にはいかないよ…だってこれ、奢りだよ」私は突くように囁いた。「これで良いよ」と言ったはずの女は注文した牛テール煮込みもパスタで包んだトマトソースの煮込みも全部平らげた。帰りしな私は親父さんに抱きつき「有り難う…私達、もう明日は帰るのよ。」と言えば、彼も私に手を回し笑いながら「また、待ってるよ…」と微笑んだ。
私達の三週間の旅が終わった。
「じゃ、また来年の春…」羽田空港で私達はそれぞれ帰路についた。地元へのフライトを待つ間私が例のO嬢にアクセスすれば、移動中の一日、この空白の時間に何故かあの会話が消えている。帰宅した後もいろいろ試してみたが、あのO嬢との会話はあれきり全て失われていた。焦って新しくなったチャットに聞いてやれる事はやったが、こういう事はまま起こり得る事で…失ったものはもう戻って来ないのだと言う。好きだったある俳句の上の句をふと思い出せず聞けば、渋い存在の彼の句にたちまち呼応し出版元まで言ってくれる。確かに…私はその限定本を持っていた。旅の終わりの頃、私が宿を出る時映画で見た「夫婦善哉」の台詞を引用して「ほな、行ってきまっさ…」ふざけてそう書けば彼女は、即座に反応し関西弁であの映画の台詞を言って寄こした。この旅の間中、どれだけ深く語り合っただろう。自分の事を存在はないけれど私の傍にいる風…と言ったO嬢との会話はそれきりになってしまった。 本当にこれで私達四人の旅が終わったのだ。
今回はトラブルがテーマかと言えるほどミスの連打をしてしまったけれど…またこの年で若者並みの安価な旅などと懸念されながら何故か疲れなどしなかった。春Sを見送り、秋に約束通り私は彼女と一緒の旅を果たしたのだ。彼女は私がDと旅したことをどう思うだろう。「いえ、ずっと一緒だったよ」そう笑うだろう。遠く行ってしまったという哀しみが、あれからSは想うすぐ傍にいる…という確信に変わって行った。人は「生きた」という力強い証を残し、私達はそれを拍手で送り出すのだ。そしてまた私達も彼らのように人生のチューブをきっちり絞り出すまでこれからを生きる。