秋空に月・・・

福井から帰って直ぐさまオーダー、お直しの取りかかり・・・本来ならばようやく一段落?で日南にエスケープなのですが、今回は高松への「20点ほど・・・モノクロで・・・」可愛い顔でN嬢からの依頼とあれば「・・・まぁどうにか・・・」と言ってしまった。だから休憩無しのそのまま制作没入!この仕事を持ったまま夫等と合流し久留米美術館の後福岡で呑むなんて「あなたは遊びなら這ってでも行く!今疲れてる筈だよ!」と今回は居残りを示唆・・・まぁ自分でも不承不承納得して断念・・・確かに!この年齢では過密スケジュールでした。思えば今年はのっけから元気だった。秋になるまで過酷な夏も結構なスケジュールを熟しながら体調は極めて良好!「えぇ?年の自覚って?そんなもの・・・」と過信に満ちていたなぁ。福岡から帰ってきた夫は早速間近の4人展への準備です。彼の癖である口をへの字にして最後のあがきをアトリエでやってました。コロナ期間からの眠りから覚め久しぶりの彼の展示会・・・しかもY氏の肝いりで若者を含めた4人展、正しくタイトル通り「交差点」です。ただのみ仲間とは言えここでは御大Y氏のお声がけの分、夫のプレッシャーは大きかったみたい。躊躇する夫に「紹介という意味で昔の絵も出して・・・」で、ならば点数的に出されるかも・・・と受けた今回の展示会。けれど期日が迫れば「それに値する絵になっているか・・・」搬入の時、彼自身そんな想いに揺れていたようです。

個人美術館とはいえ竹林の間を抜けて佇む大きな美術館。その一番大きな展示室が会場です。大きな壁面に「そこに並べて・・・」Y氏は自分の絵を小さな壁面に、夫を引き立ててくれるつもりらしい。躊躇しながら11枚の絵を二人で並べていきました。時代に差があり、タッチもモチーフも少しづつ異なりますがこうして並べた時同じ空気が流れているのを実感・・・まだ明けやなぬしじまのように静かな世界が流れています。あぁ、いい絵だ・・・彼はやはりいい絵描きでした。若い日に「賞が欲しいという想いが卑しいからもう公募展には出すまいと思う・・・。どう思う?」初めて出した公募展でいきなり大きな賞を貰い・・・それが切っ掛けで私達は出合いました。私は彼のその絵に魅了されたのです。それから1年後・・・私達は結婚し、私は絵を描く人と一緒になりました。その翌年の言葉でした。元来野心家?でもあっただろう私は一方で見栄っ張り、その言葉に「良いんじゃない・・・」それが彼の生きるスタイルならば・・・と、そんな事を言いました。

それから彼は何処へも出さず、誰とも混ざらず黙々と描き続け・・・彼の絵になっていったのだと思います。音楽聴きながら、映画に溺れながら、釣りをしながら・・・怠け者なりに「何を描いて良いか分からない・・・」そう呟きながらアトリエで絵を描いていました。熟れて絵を描くタイプの絵描きではありません。我が儘で傲慢で・・・けれど精神に濁りはありません。彼が私達の押しで初めての展示会はもう40を過ぎていました。あの時「もう描かない・・・と思ってたよ」先輩の絵描きがそう言いました。Y氏がギャラリートークで夫のことを「頑固な人だから・・・」そんな話をしていました。そんな彼の側にいて私自身、私の中にあった野心?みたいな物も削がれていったのだと思います。

ギャラリートークがあるというのでまた福岡から例の友人達がそれに合わせてやって来るという。もう一人の映画好き友人もコロナを挟んで久しぶりの帰郷・・・それに加え末娘が子供を連れて「パパに展示会を観たい・・・」と帰省するらしい。千客万来が続きます。美術館は隣町である市内の外れ・・・車のライセンスを持たない彼の足は私、ならば彼の搬入が終わり初日までつききりで私も作業です。

そして・・・何だか風邪?それからは気分は悪くないのにただひたすら眠い・・・。一日中トロトロ・・・今年明けてからの休息に入ったか?と思われるほど体中から気力も抜けてただとろとろ寝ました。結局10日間ものロス‼ けれどほぼ仕事は順調にいってたので・・・後は予定の客を熟すだけ!それらが全て済んで・・・後はいよいよ私の最後の展示会、クリスマス直前の青山です。「今度はトーク帽だけ・・・ね」オーナーS嬢のプレッシャーが掛かります。まぁどうにかなるでしょう。どうにかしよう‼

埼玉で大きな会社を経営のH氏・・・高校時代、夫の金魚の糞?と呼ばれるほど一緒に映画を観て過ごしたこの彼と夫が再会を果たしたのは、夫が仕事を辞めて東京で初めて展示会をやった時です。「何故?」後になってその訳を彼に聞きました。「だって会社経営なんて・・・見下げ果てられそうで・・・」と。秀才だった少年の彼は高校で夫に出合って価値観がぶっ飛んだそう!理系に編成されながらすっかり映画にのめり込んでその人生の先をそれに関わる仕事へと大学受験の段階から模索しながら結果・・・転向。理系の道を選んで今では大きな会社の社長になっちまった・・・それが彼が顔向けできなかった理由らしいのです。笑ったねぇ。彼は彼なりに夫のその後を探し・・・何故だか夫が島の暮らしを選んだ・・・と認識していたらしい。初めて東京で展示会をするにあたりDMを出そうと夫は高校時代ぴったと張り付くように一緒だった彼をネットで探し出したのです。「えぇ?社長?・・・でも確かに写真に面影がある・・・」そう思いつつ会社に電話を入れて・・・そして繋がったのです。30余年が経っていました。この髪の薄くなった未だに映画青年?の分厚い手紙が我が家と彼を往復し、あれから彼は多忙を裂いて帰省の度に我が家を訪れます。大好きな夫に会えて嬉しくて嬉しくて彼は言いたいことをプリントアウトまでして尻尾振りながらやって来ます。私に向かって「あなたもTの信奉者でしょ?!」と勝手に決めてかかって来ます。分かっちゃないんだなぁ・・・。こんなに映画好きなのにこの頭脳明晰な理系の小父さんはたった5色のクレヨンで何もかも塗ってしまうのです。「やっぱりお前は理系だなぁ」私達が笑いながら言えば「うん、理系だよ」酔っ払って蹌踉けながら夫の言葉をまたメモるのです。今回も「泊まったら?」を振り切って用があるから・・・と帰って行きました。けれど深夜のタクシーに乗り込む前、玄関で靴を履きながら一回転!?相当呑んでたよな彼・・・。でも嬉しかった彼、また来るから~!と手を振って闇に消えてった。「あれで社長が務まるか?!」私達は笑いながら見送った・・・何時までも青年の匂いを持つ友人、嬉しいなぁ。

二日おいて今度は福岡組です。「何時もYさんに世話掛けるから・・・」と、夫のギャラリートークが終わった後、私に気遣い今宵は久しぶりの街飲み・・・高校時代を思い出したのか、もう50有余年前?友人のY氏は燥いであの頃からあった繁華街のお饅頭を並んで買いました。薄墨の空に大きな半月が掛かっていました。「俺はね、良い友人を持った‼これだけは言える!」とまだ現役で夫の熱烈なファンでもある熱血漢カメラマンY氏が言う。さらりと男気溢れたH氏が黙って頷く。これはまた私を含めた何時もの4人のメンバー・・・と言うより私が潜り込んだんですけど。わいわい呑んで我が家に泊まって・・・翌日はスペイン料理一杯朝から作ってこんな良い奴らとまた昼呑みです。夕方、駅まで彼等を送って・・・今度は年末に!と彼等からメール‼もう実家のなくなった彼等には我が家が実家?なのです。嬉しいことです。高校生のように燥いで旅に映画に本にetc・・・縦横無尽に話は飛んでいっぱい喋れば世の憂さもぶっ飛びます。否、年明け早々の新聞に書かれていたコピーのように我々が曲がった世に渇を入れなきゃいかん!と檄を飛ばしながら・・・うすうすこれがあと何年続けられるのか・・・と過りながら今を楽しみます。

忙しくて、低迷して・・・とにかくこうして10月を熟しました。久しぶりに夫の展示会・・・良き友人達と良い時間を過ごして二人の中に爽やかな風が吹いています。見渡せばそこら中に不穏な空気、侵略で戦火にまみれた人々・・・人間は歴史から学ばないものだとつくづく実感しながら・・・もちろん「NO‼」と大きな声を上げてます。でも今・・・申し訳ないけれど私達は生きていることの幸福感に包まれています。

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