人生双六・・・

高松の展示会から東京経由で帰って大急ぎで後の注文をこなさねければ!

何故って・・・末娘一家が五月のゴールデンウィークを挟んで「2週間滞在するけど・・・い~い?」えぇっ、そんなに?

猫一匹に夫と二人っきりの生活に入って18年・・・本当にゆったり気ままな時間が流れています。そこへ・・・です。

せいぜい1週間だと思っていた娘達の帰省・・・2週間滞在なんてマジですか?すぐ後には札幌の展示会も待ってます。彼等が来たら仕事なんて無理・・・ならば怒濤の2週間が来る前に大慌てでがんがん仕事して・・・どうにか辻褄を合わせました。さぁ、何時でも来い!です。

下の孫娘は一年半前の夏、ここで生れました。コロナ禍で、あの時も前後三月の長いお産帰省で・・・あれ以来です。

生れる直前、家のすぐ横の河川敷の苔むした堤防に「あお」と私は上の子の名前を小石で落書きしました。だからそれから間もなく生れた下の女の子の名前もその横に「はく」と書き入れました。あれから一年半過ぎたというのに・・・堤防にはその名前がまだくっきり残っています。お兄ちゃんになったあお君がそれを見つけて・・・「あの時の小石まである」とそれを自分の指でなぞりました。大きくなったなぁ。

素直なおっとりのお兄ちゃんの妹・はく嬢はこれはちょっと大変ですぞ。女だてらにきりりと顔つきから違う。まだ一言二言話し始めただけなのに・・・夜ごと目はどうやら食卓の夫の酒の肴に釘付け。せっかくグラタンなど子供用お料理もしているのにこっちは興味なし!「じゃぁこっち食べてみる?」ツワブキの炊いたのとか小さく切って口に入れてあげると足をばたばたステップ踏んで声上げて喜んだ。「渋いねぇ~、じゃぁ今度はところてんだ!」いっそうばたばた激しくステップを踏んで・・・こりゃぁフラメンコだ!毎回起こる私達の笑い声の中で、はく嬢手を上げて「オ、レイ!」まで覚えてしまった。

末娘のぼそぼそ揶揄するのがお得意の婿殿も嫁実家の我が家でゆったり寛いでる。この二人、私達に似て割れ鍋に綴じ蓋?激しい喧嘩もするらしいけれど、ところ構わず義父・母の前でべったり・・・おいおい女房の膝枕で耳かきですか?そんなこんなで日々喧噪の中で給食小母さんのように忙しかったけれど、私達の友人等も彼等に会いに押しかけて・・・目まぐるしく賑やかな楽しい2週間でした。

彼等が帰って・・・また穏やかでゆるゆるとした日常が舞い戻りました。そこへInstagramから一通のメールが飛び込んできました。

三十年前・・・それまで一泊の旅行だって許さなかったわがまま亭主の反対を押し切って小金をかき集め決行した私のエジプトへのひと月・独り旅・・・あの時国内の飛行機に乗るのも18年前の新婚旅行以来でした。わくわく・どきどきで乗り込んだイベリア航空・・・たまたま隣り合わせたのが秋田からの二人組は同い年・寅年生まれの女達!寅・寅・寅・・・偶然乗り合わせました。

「独りになったのよ・・・」そういうI嬢はすでに旅慣れていて「ポルトガルの鰯がね、そりゃぁ美味しいのよ!」だから醤油持参の旅だって・・・

沈まない太陽の下、私は飛行機の窓に張り付いて・・・地図で見ていた広大に続くツンドラの上を何処までも飛び続け、やがて降下・・・積み木の玩具のような緑の家々が点在している。ここは何処?(フライト状況は知らぬまま)当時まだソ連だった頃のモスクワで給油休憩でした。だから私が初めて降りた異国はロシアって事になるな。

噂通り・・・I嬢が「それでも、ここのは美味しいのよ」って。ロシアのでっぷり太った愛想ない小母さんがにこりとも笑わずアイスクリーム突き出した。わいわい喋って一緒にアイスクリーム食べたっけ。夜マドリッドについて・・・彼女らはポルトガルへ、私はここに一泊して翌日ギリシャを経由してエジプトへ。

初めての異国マドリッドでの第一夜・・・一枚の写真があります。深夜のホテルに着いてから私は安堵と共にセルフで記念の写真を撮りました。すると思いがけず体の中を一陣の風が走り抜けたのです。「皆、ここに来させてくれて・・・ありがとう!」心の叫びでした。涙が一筋つっうと零れました。結婚して18年、ずっと重い雲に覆われているようにいろんな事があったけれど・・・あの夜、これまでの全てが「ありがとう」になりました。あの旅から私は本来の私を取り戻し・・・私はわが・ま・まに異国をぷらぷらと気ままな旅を重ねました。

そのメールは三十年前の5月、飛行機で隣り合わせしたあのI嬢からのメールでした。奇しくも彼女の知り合いが高松のギャラリーの若きオーナーN嬢と一緒に彼女の企画した神戸での展示会にやって来たらしい・・・余り素敵なN嬢だったので、それから彼女のInstagramを観るようになり・・・そこへ偶然私の展示会が紹介されてメールへ・・・という次第!

彼女、私の名前をよくぞ覚えててくれました。あれは私にとっては忘れられない旅!すぐさま私も彼女にメールして・・・「会いたいね!」「私、秋のYさんの展示会へ行く!」

もともと雪深い北の居酒屋で訛りを聴きながら一杯・・・なんて憧れ。のんびり南の海辺で暮らす身にゃぁ浪漫です。だから「いえいえ、私がそっちに行きたい!」そんなやり取りから話は飛んで・・・彼女の計らいで私が秋田で展示会をすることに!

この春の高松で出合ったN嬢からこの縁起は始まってた!70にしてまた動き出した人生双六・・・何処に到達するやら・・・もう楽しみでしかありません。

コロナは少しづつ解禁か・・・ウクライナは頑張っているけれど、侵略という悲惨な状態にまだ決着は付きません。今日、“核廃絶”を叫び続けたイギリスの女達のドキュメントを観ました。始まりは数人の小さな声・・・やがて三万もの女達がその呼びかけに手を繋ぎ「NO」と核配備された基地を取り囲んだのです。あれから長き闘争を経て配備された核が基地から出て行くのを見送った彼女たち・・・この弱者だった女達の運動はやがて地球温暖化問題やジェンダー・ミーツー運動に繋がっていきます。先の世界大戦の悲惨さから何を人類は学んだのでしょう。忘れられた頃にまた忌まわしいこの侵略・・・「NO!」と声を上げ続けることの大事さを痛感します。

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