水仙の香のように・・・

ゆっくりゆっくり想いの世界を巡っていた義母が亡くなりました。
山も里も凍えるように冷え切った夜でした。
この一月毎日通ったくねくね坂・・・深夜の電話で夫と二人黒々と静まり返った山道を無言で車を走らせます。
取り留めもなくいろんな事が頭を駆け巡りました。

その数時間前、もう話す事もなく目をとじた義母に「でも耳は聞こえてますよね…」と
私は何時ものように歌いました。
前日から息遣いも荒くなり、もう呼びかけにも応じなくなった義母の眉が歌の流れに合わせて動きます。
「ああ、お義母さんが一緒に歌っている・・・」突然義母の手が動いて何度も空を掴みます。
歌いながらもういよいよ義母の旅発ちが近いと感じ泣けました。
「そう頼んでましたからお義父さんがちゃ~んと迎えに来て待ってますよ。
もう頑張らなくていいですよ、そしてお義母さんも若返ってお父さんに会えますよ。」
義母はハンサムだった義父が自慢でした。
その日、私達は翌日から泊まり込むつもりで帰宅したのです。
やがて駆けつけた夫の妹達、義母は告げられた命の期限より早く・・・家族に囲まれ夜明けを待たず義母は向こうの世界に旅発ちました。
苦しみの時間が短かったことが幸いでした。

「認知」は義母を穏やかにし、愛さなければいけない人を愛しい人に変えました。
この一月は義母が私達に作ってくれた時間だと感じています。
「恨みっこなしで別れましょうね、さらりと水に全て流して~」何故か義母がこの歌を好きで一緒によく歌いました。
全てを許し許され大きな慈愛に包まれた時間・・・透き通るように白くなった義母の手を握り歌いました。
いろんな感慨が過ります。
義母と私達夫婦がこんな時間を作れたのも心を尽くし介護して頂いた施設の方々のおかげです。
大変なお世話は全部背負いこんで手厚い介護…お陰で私達はゆったり義母との時間を紡げました。
彼らなくしてこんな義母とのしみじみした別れはできませんでした。
人生の晩年から最期まで・・・それに携われるお仕事の方々に心から感謝です。

私達は義母をあの水仙のように清々しい想いで「さよなら」と送り出せました。
そしてお骨になって義母は今私達の家に帰ってきました。
お線香の匂いが陽だまりの部屋に流れています。
私の両親や義父、婿の父親や縁ある人の写真に混ざって逝ってしまった犬や猫の写真まで・・・
我が家の祈りの場はまた賑やかになりました。
30年前の義父の年まで若返った義母と夫婦水入らず、今頃二人どんな話をしているのでしょう。
人はこうして祖父母・親・子三世代の愛しい想いを次世代へと繋いでいくのですね。
外は珍しく粉雪が舞っていますが、今私は温かな想いで満たされています。
間もなく春です。

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