長い留守・・・

ただ今旅から帰国!元気よくそう言いたいのですが・・・
出ちゃいました。私の奥深くしまい込んでいた喘息が久しぶりに復活?!
帰国直前の台北で「ちょっとまずいかな?」が的中。
思えば出発直前から雑務山積で疲労困憊・・・けれど這ってでも行きたい旅へそんな顔は禁物!
「無理してまで行かなくていいじゃないか…」今更旅への中断を促されそう・・・だから元気を装います。
旅の間中よかんたんだけどなぁ・・・
帰国した気のゆるみか蓄積した疲労は今回は咳喘息となって帰国後いっそうひどく
昼夜ごほごほが止まらずすっかり体力を消耗しました。
あれから一週間…ようやくこの状況から脱したみたい!(ただ未だ声も耳もまだ遠い!?)

今回の4人旅第2弾はS嬢が以前行った台北で「小籠包の美味しさったら!」に言葉に
彼女の夫H氏がまた血迷ったのだ。「次はアジア!」
我が夫君も「九分は行きたいねぇ、あの悲情城市に行ってみたいよ」映画青年?の心をゆすぶった結果がこの旅でした。
それで少し色を添えてバリまで入れた初冬の旅・・・

昨年に引き続き日南との4人組でベトナム~バリ~台湾と続けた3週間の旅ですが今回は”お手柄旅?”と相成りました。
何せ自分の展示会、制作に加え夫の個展に合わせ一月の間に神戸~福岡~東京と走り回り、
その合間に旅程に航空チケットの手配に宿の手配etcこの段階で既にへろへろ状態。
旅程が決まればチケット手配に宿探し…予算を念頭に土地の匂いや宿の佇まいまで全てネットで調べつくします。
25年前から始まった一人旅・・・あの頃ネットなんてなかったし、大まかに決めた旅程以外雲の流れるように行き当たりばったり!
それが私の旅だったのですが4人一緒となるとそういう訳にゃいきません。
異国で意思疎通のできない日南組が安心できるよう皆同じホテル、同じ車両の列車!全て4人一緒となると手配は必須なのです。
旅に出れば訪れた土地で歴史的背景から同時通訳?で(拙い語学力を駆使します!)彼ら参加型の旅の日々に、添乗員!?はまた忙しい。
一方夫殿と言えば「先方隊?」だからと何ら気遣いもなく何時も独り歩き・・・飲みに行く時だけが元気になる気ままな輩です。
旅に出る前からダッシュしている私と夫とはすでに背負ってる荷の重さが違う!
何時もならそれでも旅に出れば「あの流れる雲のように…」だったのですが・・・

以前訪れたハノイと違いホーチミンの喧騒ったら!夥しいバイク群の滑走の間を信号なしに抜け渡る!
たとえ信号あっても止まりゃしない!
古都フエに行って静かな川面を舟で巡りようやく旅情を味わい、
提灯の灯りに浮かぶ家並ホイアンで和んだ後バリへ渡りました。
ホーチミン~クアラルンプール~バリ間を格安航空で繋いだのが仇で
膨らんだスーツケースの重量越えでばっちり加算?!
夜半に降り立ったバリ・デンパサールの空港から手配していた宿に着けば皆「あっ」と小さく声を上げたっけ。
闇に浮かぶ小さなヴィラの古い扉の両脇に鎮座する苔むした石の守り神。
足元を照らされた石畳に亜熱帯の大きな植生の陰。
趣味良い部屋の設えまで何れも心地よく訪れた客を癒してくれる。
インターネットで探しバリ滞在の5泊はここに決めていた。
スミニャックのこの一角だけ静かなヴィラ・・・来てみればそれが大当たり!
この時からここからが「Yちゃん、お手柄!」の始まり!面目躍如!で当然私ふんぞり返りました。
あれから幾度となくこの「お手柄?!」getしたり、失ったり…。
着いた夜ヴィラ前のWAHAHAレストランで女の子たちの特上の笑みに癒された。
S嬢に促され翌日30年ぶりに水着を買って
椰子やバンブーに囲まれたヴィラの小さなプールで泳げば名も知らぬ小鳥たちが鳴きながら飛び交う。
こんな時間・・・なかったなぁ。
そしてここの従業員のティムスがまたいい青年だった。
ここバリで夫どもが「え?嘘だろう?」アルコールの値段に驚いた。それに過剰な税金が掛けられているらしい。
毎夜ワインを1,2本軽く空ける男たち、これじゃ酔うほど飲めない!。
ならば…と彼らははバリで唯一安いビールを飲み、当然テンションだだ下がり。
「この価格じゃ地元民絶対お酒飲めないよね。でもここにもアルコール好きはいるはず、絶対何か地酒があるよ」 
ティムスに聞けば確かにそれはあるという。アリ・バリ・・・それが密かに飲まれている酒らしい。
「それ、飲みたいなぁ」「明日まで待てない?明日は僕が休みだから…」
「遠いところにしか売ってないの?じゃぁ・・・諦めるか」
そんな会話があった後、彼が走った。
バイクで1時間半もかけてウォッカに近いアリ・バリを手に入れるために走ってくれたのだ。
彼の手にある秘密の酒は水用のペットポトルに入っていた。その夜、男たちはその美味しい酒に酔いしれた。
静かに語る青年の暮し…今年結婚して来年には初めての子が生まれてるという。
「ティムス、もしあなたが日本に来れる時は何時でも歓迎するから!」
「行ってみたいけど・・・来れません。だからあなた方が来るのを待ってるから」誠実な彼の目が笑った。
国が違えば暮らしの格差は大きく、外国に行くなど彼には到底無理なお話だった。
あれからあの染み入るような慈愛に満ちたティムスに別れを告げ、私達は台湾へと旅立った。

深夜台湾に着いた初日、宿選びでお手柄失墜!着いた先が若者宿?で3人からブーイング!お手柄失墜!
責任?から夜中暗がりで独りネットを駆使し翌日には探し出したホテル移動でリセット。ふうっ。
朝はホテルで聞いて道端の屋台で朝がゆ!これは旨かったなぁ。
翌日九分へ・・・以前から娘の家にあった九分の写真集に私は惹かれていた。
夫の絵のモチーフにつながるような・・・つづら折りの道にひっそりとへばりつくように小さな家々。
金鉱が発見されるまで丘にたった十数件のさびれた寒村、
やがて金山で人々が押し寄せ一時期の繁栄に沸いた後また山里は寂れていった。
ところがあの映画公開後人気沸騰で今や狭い路地は原宿のような賑わいに溢れ、
私の記憶に染み付いたあの九分はもうなかった。
けれど今もここに点在する映画「悲情城市」の欠片に夫の目が輝き、
あの日お上りさんのように彼は満面の笑みで写真を撮ったけ。

台湾から僅か二時間半、降り立った大阪の街はきらびやかなクリスマス一色で足早に人が襟を立て行き過ぎる。
もう師走なのだ。
見知らぬ街で思い出を作った代わりに、地元にあったはずの日常の日々がぷつんと途切れて・・・
翌日夜遅く帰り着いた我が家は落ち葉にうずくまっていた。
初冬から真夏に逆行した今度の旅はその湿度に体が追い付かなかったのか、
遂に旅の終わりにそれは来て出てしまいました。
帰国後思い出をなぞる余裕もないまま微熱と咳に喘ぎながらひたすら炬燵に潜っていたけれど
今日になってようやく脱却みたい!
無理したら必ずこのしっぺ返し・・・これを繰り返してきたこの十数年、本気でリセットしたいと思います。

今年は義母を送り・・・私達夫婦も人生のけじめを意識した年でした。
まだ年末までの行事!クリスマスの贈り物も恒例のクリスマス会も・・・何もかも今からまた雑務山積です!
取りあえず明日から日常宣言!

皆様良い年をお迎えください。

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