早朝独り歩く散歩、冬を越して道端の草の芽吹きに春を感じ・・・やがてそれが小さな折り紙のような柔らかな葉となって風に揺らいでいる。
風に舞う桜の花びらも知らぬ間に、季節はもう初夏へと進んでいます。
何処か喪失感・・・何故だろう。
そうだ、この季節、何時もならば忙しい仕事の合間を抜けて車を走らせて花の下を潜り抜けたり、
友人達との春の宵の饗宴があったりしたんだ。春が来たことを皆で喜んでたっけ。
陽の光も風も何時の間にかその春が行き過ぎた事を教えてくれます。
今はコロナ…享楽的引き籠りは得意だけれど・・・ニュースが世界を教えてくれます。
このパンデミックの状況下でミャンマーの軍事クーデター、ウイグル地区への人権問題、香港への軋轢、アメリカでのアジア人攻撃
ましてアフリカ、中東の問題は山積み・・・
破壊と残虐を繰り返したあの大戦後、焼け野原から立ち上がった人々から私達は何を学んできたのだろう。
世界は何処へ向かおうとしているのか・・・
今、ファシズムが台頭し侵略を民族と言う名で正当化したあの第二次世界大戦前夜を彷彿とさせられます。
そんな事考えながら・・・穏やかな海を眺めながらまだ早朝散歩は続いてます。
この朝の散歩で出会う常連に末娘Mが小学時代仲良しだった子のお母さんがいました。
もうその娘が40になるのだから近くに住みながら彼女とは三十年ぶりの再会です。
毎朝行き過ぎに言葉を交わす内・・・私が子供時代過ごした界隈の話になりました。
「あの界隈って何処?」彼女は私の書いた本を読んでいてくれたのです。
「あら、あの辺りのこと知ってるの?」今更ですがそこから話は急展開。
娘と友達だった彼女の娘が嫁いだ先が私が生まれ育ったKという界隈でした。
私は自著の中である幼友達の話を書いていました。
5,6歳の頃、私は養子として迎えられ大事に育てられた同い年のM君の遊び相手となった時期があります。
そして話を手繰り寄せると…何とYさんの娘が結婚した相手の父親がその彼だというのです。
「きっと彼も覚えてるから…」勇んで私がそう言うと
「それが・・・ね。去年亡くなったのよ。」
思春期の頃、彼はあの界隈から引っ越ししていった。
偶然巡り合ったと思った縁がこうして再びあっけなくぷつんと切れてしまいました。
けれど…M君の奥様から彼女が聞いていた話は私の遠い昔の回想にぴったり付随するものでした。
また後日、朝の浜辺で「ここに来る前、何処にいたの?」との何気ない会話・・・
私が結婚して間もなく夫の家族と暮らし始めた場所、私の住んでいた彼の実家とほんの数分のエリア・・・
何とそこに散歩仲間Yさんの実家があるというのです。
同じ頃彼女はその実家から勤めに通っていたらしい…「あの店、行ってた!」互いに細かい路地まで覚えています。
互いを知らぬまま同じ時期に7年もいただなんて。
それから後日、,何気なく「昨日は父の命日でkまで行ってたの」と言えば
「えぇ?お墓がKにあるの?あのMさん…Kで生まれたのよ!」
M君自身、二十歳を過ぎるまでそれを知らぬまま・・・私の幼友達だった彼は私の両親の郷Kから貰われてきたのだと分かったのです。
細やかな縁が幾層にもこんなにリンクしていたなんて・・・その度「ええ?」と互いに驚いたものです。
彼の妻も息子も知らない・・・私自身彼の名前すら忘れていたけれど、
私の幼い日の思い出のかけらにあの頃新しい家族にまだ戸惑う彼の幼顔が残っています。
養子として大事に大事に育てられたM君…
戦後まもなくまだ世の中が混沌としていた時代に、大きな子供部屋で彼の持ってた透けるプラスティックの積み木に私は目を見張ったっけ。
それで遊びたさに私は筋向いの彼の家に毎日お呼ばれしていた頃があります。
あれから彼は良い方と出会い順風満帆…子供らに囲まれ彼は少し早めですがたおやかな人生を終えました。
散歩で出会うYさんとM君と私は前世?で少なからず何らかの縁があったのでしょう。
こうして人生の終わり近くになって・・・幾つもの見えない糸が微妙に交差していた事に気付くなんて。
案外世の中はこんな風に細やかな縁の糸が幾層にも縦横無尽に張られているのかも知れない。
気付くも良し、気付かぬも良し・・・温かな想いが過ります。