夏とキャロットちゃん・・・

8月夏真っ盛り、怒濤のオリンピックも終わって感染は予想を遙かに超えて蔓延・・・とうとうこんな田舎街もデルタ株に侵食され始めました。

そこに加えこの異常気象・・・北海道で日々35度を超えたかと思うと100年に一度といわれる豪雨!たたき虚ける雨が日本列島をなめるように停滞し、各地で氾濫!お盆だというのに墓参りさえできない状態です。

世界の至る所で自然発火による山火事に洪水!グレたちゃんが顔をゆがめて叫んでいた地球温暖化の状況が刻一刻と顕著に現れています。

20世紀という時代が何を求めてきたのか・・・技術躍進に伴った「欲」が世界を席巻し、他国にまで踏み入り支配を巡って大戦まで引き起こした。                   

そして・・・それらが生んだおぞましい殺戮に差別偏見がまかり通る思想統制。

それを反省したはずなのに今世の歩みはまた恐ろしい方向へと向かっているかのよう・・・世界中至る所にそんな足音が聞こえます。

私たち世代の人生はあと10年あるかないか・・・21世紀の幕開け、こんな局面に対座するなんて過ることもなしに眩しい正義を高らかに唱い平和を享受、青春を謳歌してきました。                                

けれど今、中東の空を嘘くさい大義名分すら歌わない利権の爆撃機が飛び交い、香港の自由を叫んでいた人々が大国主義の中で手足をもがれ、ミャンマーの空の下を国民が逃げ惑い・・・あの世界大戦の後、人間の尊厳と自由を高らかに訴えた人々がたどり着いた先の21世紀がこれだったのか。

昨年生まれた孫娘・・・彼らはこれからそんな地球とどう向き合い切り抜けていくんだろうと不安がよぎります。                                  

その孫娘の誕生日がすぐそこです。                          

昨年夏コロナ禍で長い帰省出産の中で誕生し、我が家に帰って・・・互いに行き来もできないままマスク生活も2年目に・・・                           

この子の誕生日には何を贈ろうと思案していたのですが・・・思いつきました。       

昔、その母親である娘がまだ幼い頃・・・私は小さな女の子の気持ちを踏みにじってしまった。

幼稚園に行かせてもらえなかった彼女は毎日わら半紙に絵を描いて学校に行っているお兄ちゃん、お姉ちゃんの帰りを待っていました。そう、家の子等は全員幼稚園へは行かせてもらえなかったのです。                                   

教育熱のボルテージが上がっていた時代に反発して子供達は子供らしくたっぷり遊ばせる・・・独断と偏見のそれが私たち親の方針?でした。                     

そんな建前の傍らで何より自分達の人生を探すことに夢中でした。            

子供らのために生きていたのではなく、あの頃自意識強くどう生きようかと手探りで歩いている私たち二人のそばを子供らが蜂のようにぶんぶん飛び回っていたように思います。    

だから我が家の子等はゲーム遊びも知らず学習塾も知らず・・・子供らの不平も困惑も無視して4人の兄弟だけでひたすら犬っころのように遊んでいましたっけ。             

それが良かったか悪かったか・・・そんな子供時代に彼らの不平があったものの、今あの時間をとても懐かしく思ってくれていることに安堵します。                  

そして私たち夫婦二人がたどり着いた今のたおやかで豊かな時間に感謝しつつ、子育ての渦中にありながら自分が何処に向かおうとしているのか探し求めていたあの時代が生きた時間だったように思えます。

・・・そんなあおりで家でひたすら絵を描いて過ごしていた末娘・・・ある日、彼女の描いたにんじんの女の子の絵をそのままそっくり人形に作ってあげたことがあります。          

娘はそれを喜び、片時も離さないほど。                        

小学校に上がった頃に、あまりに汚れてしまったよれよれのキャロットちゃんを私はもっと可愛く大きな人形に作り替えてあげようと思い立って・・・新しいキャロットちゃんと入れ替えに彼女の大事な人形を捨ててしまったのです。                      

大きくなってまつげさえ持っている新しいキャロットはもう彼女のキャロットちゃんではありませんでした。

小さな子にとってそれがどれほど大事だったか・・・大人の私はずかずかと子供等のそんな想いをいっぱい踏んづけてきたのでしょう。                            

あれからその娘に孫娘が生まれて・・・娘が言いました。

人生楽しかったからもういつ終わりでも良い・・なんて本心でうそぶいている私に「Hちゃんにももっとパパとママの話を聞かせて・・・」と。

確かに・・・私と70も年の離れたこの孫娘はお話しできるとしても10年あるかないかなんだなぁ。だからこれから毎年一つづつお話を贈ってあげようと思いつきました。              

それで今度の孫娘のために私が捨ててしまったあのキャロットちゃんを思い出しながら、また作りました。

娘が描いた絵から飛び出したあのキャロットちゃんじゃないけれど、小さな頃のママが愛したキャロットちゃんを教えてあげたかったのです。

第一回目は「Mとキャロットちゃん・・・」のお話として絵本とともに・・・。

もちろん毎回挿絵は強引に巻き込んで夫参加型に、当然、絵描きですから!そんな次第で思いだしキャロットちゃん?とオレンジ色の布を張った本が出来上がりました。

小さな冊子を作りながら・・・

昔、結婚して間もなく夫が言いました。「小さな本が作りたいんだよ。挿絵は僕が描くからあなたは物語を書いて・・・」物語なんて書いたこともない私は「・・・できない。」それで終わってました。そんなことを呟いたことを彼は忘れてますが・・・あれから半世紀過ぎて、今二人そんな遊びをしてるんだなぁとある感慨が過りました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です