怒りの拳・・・

冷え込み厳しくまだ明けきれぬ表に出れば河川敷には霜が降りてモノクロームの世界・・・川面から海から気嵐の靄が立ち上り、やがてゆらりと上がってきた赤い日の出が幻想的です。

二月は母が逝った月・・・50年が経ちました。

「今夜が峠です・・・」往診した医師の突然の言葉にあの夜狼狽えた。私達は病弱な母に馴れ過ぎていた。友人と真っ暗な道を歩きながら「嘘よね・・・」と自分に言い聞かせた。「ありがと・・・大分楽になったから。大丈夫だから・・・寝なさいね。」喘ぎながらのその言葉に安心して付添う私がふと微睡んだ時、母は最後に私の手をぐいと引いて逝ってしまった。「死なないで・・・」という言葉が怖くて私は「どうしたの、どうしたの・・・」と震えながら私は母の体を揺すった。私の声に裸足で飛び降りたまま父は車にも乗らずあの夜凍てつく道を近くの病院まで走って行ったのだ。葬儀の日、あの我が儘な父が母の遺影を前に「悪い夫だった」と泣きじゃくった。私達の家の鼓動が止まった日だった。二月の凍てつく夜半はあの夜が鮮やかに蘇ってくる。

「何時までこうして墓参りが出来るのかなぁ」夫と二人、両親の里まで山を越えての墓参りです。あれから長い長い日が過ぎて・・・生意気だった娘も70を超えました。もう父も母も祖父母達も生れ育った故郷で深い眠りの中なのでしょう、両親の里は小春日の中で眠ったように穏やかでした。

二月に入って間もなく・・・考えられないような事が起こりました。ロシアのウクライナ侵略です。そう・・・敢えて“侵略”といいます。年明けて遠い春を待つ北国のウクライナに突然ロシアが侵攻を始めた・・・北京での冬期オリンピックが終わった直後です。以前から(今度、第三次世界戦争が起きればもう地球は破滅だ・・・)と言われていたのにロシアは同時に各所のウクライナ砲撃を始めたのです。テレビの映像は美しかった古都キエフの街が砲撃で破壊されていく現場をライブで映します。世界中見守る中、攻撃を受けているウクライナからSNSからその様子が拡散されているのです。もはや独裁者と成り果てたプーチンの振りかざす”核”に誰も手を出せません。世界の叫びを無視してこんな無秩序な事がまかり通るなんて!昨日まで平穏に暮らしていた人々・・・今や二百万人余りもの人が突然着の身着のままで爆撃を逃れ難民となって国境を渡ります。NATOも国連も”NO”も言うだけ、見守る私達が手を出せるのはそこからだけなのか・・・。

ちょうどこの侵攻と重なる頃・・・8年前ウクライナで自由を獲得するために民衆が自力で格闘し続けついに勝ち取ったそのドキュメント映画を観たところでした。皆で勝ち取った自由がこんなに強いものか・・・”私達は負けない”ゼレンスキー大統領の言葉が胸を打ちます。若き大統領の彼はTシャツ姿のままリモートで訴えます。「この暴力に私達は助けて!と訴えた。でもあなた方は憂いながらも温かなリビングでチョコレートを食べる方を選んだんですね。・・・でも私達は逃げません、自分の国ですから!」胸が痛みました。ただ彼らには誰にも屈しない力がある。自分達で勝ち取った“自由”だから彼らの意志は強くこれを守り抜こうとひるまない。入り込んできた戦車に素手で民衆が取り囲み「此処は私達の国だ、帰れ!」コール。ある老女は機関銃を手にしたロシア兵に向かって歩み寄るとポケットからウクライナの国花であるひまわりの種を手渡そうとする。戦火の中で・・・戸惑う兵士に「此処で死ねばきれいな花が咲くだろう・・・」そう言った。平和だったこの国に土足で踏み入った彼らに強い言葉だった。誰も戦争なんか望んでない、ただロシアに生れた・・・それで今他国に踏み入って“撃て!”との命令に従う若き兵隊達。世界の各所で一握りの人間が欲のために国を操り暴走をしているのだ。

2年間でコロナ蔓延もようやく終息に向かうと思えた先にこのロシアによるウクライナ侵攻が待っていた。第2次世界大戦で世界中、辛酸をなめ私達は悟ったはずだった。やがて自由の風が吹きその自由を享受している間に人はだんだん痛みを忘れていくのだろうか。もはや起きない・・・と思っていた戦争が、否、侵略が目の前で起きている。独りの男の暴挙を誰も阻止できないのか・・・。日々配信される戦闘風景をまるでゲームを観ているかのように平穏な居間でそれを観ている私達・・・ジレンマです。きっと専門家が言うように世界経済は疲弊するでしょう。それが何だ、突然奪われた日々の暮らし・・・何故彼らがそれを受けなければならなかったのか!傍観者は加虐に加担したのも同じです。未だ世界中で起きている理不尽な出来事は私達自身の問題です。私達だってきっと出来る何かがあるはず・・・。

三月の高松の展示会はもうすぐそこです。朝と夜、この関連のニュースを観ながら・・・アトリエの日々です。こうして平穏な中で仕事に向かっている日々は楽しく、そんな日常を、家を突然奪われた人々がいると言うことに声を上げ続けなければ!

 

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