春の音を探して・・・

桜開花と共に怒濤の日々!

今年一番は大阪での展示会・・・出発間際、昨年暮れからの疲れだったのでしょうか、ようやくみっともなかった鼻ヘルペスの瘡蓋がとれました。展示会のための制作の傍ら電次郎との短期同棲生活?のために安くて近場のウィクリーマンション探し、合間に懐かしい神戸の方々にお手紙添えてのご案内をしたため、今度は期間中何を着るか!まだ寒の戻りのあった前半、迷いながらスーツケースに幾枚かの春コート?までパンパンに詰め込んで空港に向かえば今まで経験したことのないほどの大渋滞!1時間の余裕を持って家を出たはずだったのに・・・日頃5分ほどで駆け抜ける通りをもう50分過ぎたのに前に進めない!止むなく抜け道から急遽高速に乗り直して乗り慣れない空港までの道を突っ走れば何と逆走だった!もうOUT! 一瞬そう過ったが、その日が搬入設営になっていたので遅れるわけにはいかずUターンしてがんがん車飛ばし、ようやく空港前の駐車場に車を入れれば今度は何と「今月から空港までの送迎を取り止めます」と案内表示!重いスーツケース引きずってなりふり構わず空港まで走り、10分前にスカイマークに駆け込んだのに「申し訳ございません。ただ今ドアが閉まりました」だって!ここに来て安いチケットなんて言っちゃあいられない・・・辛うじて空いていたJALで次の便をゲット・・・はぁはぁの態で事なきを得ました。

さて友人・電次郎ですが・・・

初めてお招き頂いたこの大阪・江戸堀にあるギャラリーでの展示会・・・電次郎と渾名付けた色気のない友人・典子女史とのコラボです。18年前、絵に専念したい夫と主婦交代した私が54才で帽子を作り始めて・・・その年の夏、右も左も分からぬまま先ずは銀座でと、その展示会場に現れたのがこの女史なのです。何か物を創る同じ種族の匂い?がしたのでしょうか・・・たちまち二人意気投合!私は帽子を、彼女は布をと物々交換が私達の馴れ初めです。売れない偏屈者の彫刻家だった夫を支えながらここまでやって来た苦労人です。その彼を今年見送ったばかり・・・。東北の曲屋で育ったという彼女・・・私の口の悪さも、何処か遠い空の匂いでも嗅いでいるような彼女のどぎまぎ語りに飲み込まれます。私が上京の際には千葉の田舎から出てきて青山辺りで呑む!「・・・そ、そうなんだよぉ」美術というジャンルに縦横無尽に目を輝かし土を耕しながらフットワーク軽く動き回ってる。自分の作品の横に新聞紙に来るんだ野菜が・・・私にとっていわば”女みっちゃん”とでも言うような純で水のような織り姫?です。昨年それぞれにオファーを頂いていたのですが「ならばご一緒に・・・」との企画が今回の「アンバランスの心地よさ・・・」の二人展となりました。羽衣のように美しい布を染め出す彼女との一週間の同棲生活?は70才の修学旅行・・・。仕事終われば皆で呑んで語り、笑い・・・二人借りたマンションに帰り着けば溢れる想いの確認作業「もう寝ようよ!」夜ごと午前2時を過ぎていました。恐れる事なかれ!70過ぎてもまだこんなに人生は楽しいのです。想像以上に元気です!そしてまだ美しい物を創りたいと意欲がふつふつ沸いています!

展示期間中、孫娘から「合格したよ!」とメール。孫のアンジュが不安定な幼少期を過ごし・・・2年間の登校拒否の低迷期をどうにかクリアして志望校に合格!私達もドギマギ見守りましたが、本人が一番嬉しかったと思います。まだまだ普通の高校生になるには課題があると思いますが・・・とにかく吉報です!

そして家に帰り着いて・・・末娘の婿のお母様の急逝の知らせが。お正月はご夫婦お元気で娘宅で過ごしたというのに・・・まだ60代でした。余りに突然で心の準備もないまま、我がことと思えば今頃お父様は茫然自失でしょう。独り息子だった婿の喪失感もどれほど大きいかと察します。今日はそのお母様の葬儀・・・そんな次第で「家族だけで・・・」のご意向に沿って私達夫婦は葬儀の参列はご遠慮致しました。今頃末娘達一家は喪に服してお見送りしている筈です。お正月、孫のアオ君がお婆さまに入学前のランドセルをからって見せてあげたのが最後となりました。ご冥福をお祈りします。

三月は慌ただしく駆け抜けて・・・何時の間にか窓向こうの山桜も終わりました。

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