蝉時雨・・・

忙しかった7月・・・一呼吸置いて今度は台風です。                                 ゆっくりゆっくり遊んでいるかのように台風6号は九州の横を丸一日掛けて滞空時間を持て余すように自転車並みの速度で通過です。外好きなミュウミュウはもう待ちきれず僅かの雨の切れ間に飛び出して行ったのですが、再び唸るように吹きまくる風雨のため帰るに帰れず・・・数時間後ずむ濡れで帰ってきました。ならば!とミュウミュウは大嫌いなシャワーでまるごとお洗濯?されて丹念にタオルで拭かれればもうゴロゴロ・・・外は唸る雨風の中、ソファで気持ちよく熟睡です。

さて私も次は9月の福井の展示会!DMをばたばたと娘と打ち合わせ、長い留守のためやり残しの雑事に忙しなく追われていたのですが・・・このノロノロ台風です。早朝「もう過ぎ去ったのかな?」と思われた台風の居座りに・・・閉め切った家の中で時間を持て余し、久しぶりでPCに保存された自分の雑文を開きました。

この海辺の家に越してきて30年余り・・・数年後、長女は世界一周の途上で掛かってしまったマラリアの後遺症?の養生中で何処へも行けず・・・そんな彼女の気晴らしにと我が家でもPCを購入したのでした。あの頃、我が儘夫に仕事、4人の子供等に加え大勢押し駆ける友人達、犬2匹に多くの猫達という雑多で賑やかな暮らし・・・だから私はそれまで沈んではまた浮かび来る染みのようなしがらみのそんな負の想いはなかったかのように封印してきました。ある日、仕事終わりの夕なずむ頃・・・気まぐれにアトリエに置かれたPCに向かってキーを押せば思いがけないほど溢れるように言葉が出てきます。あの日、若く逝ってしまった母のことをふと書き始めて・・・思いがけずひとしきり泣きました。泣くことで封印していた想いからの解放だったのでしょうか、あの時ずっと胸深くあった哀しみの痼りみたいなものが温もりへと変わっていきました。それから・・・書くと言う事で記憶への私の小さな旅が始まりました。

その頃から始めたひとり旅や行き過ぎていった人々・・・何時の間にかそんな想いの雑文が溜まって、”帽子制作10年折り返し記念?”として思い付きのままに自費出版をしました。ただ、そこに入れなかった雑文には私の中でふつふつ自家発酵した内なる言葉の累積で、実在する人に取っては差し障りのある内容も多いのです。だから表には出せない私の呟きを綴った物があの時のままにこのPCに封印されているのです。この風吹きまくる日・・・何とはなしにそれらを開いてみました。

小さなタイトルを開けば二十年、三十年前のあの日のことが色鮮やかに語り始め、そこに息づいていました。そのつど湖面の波紋のようにざわついた感情のままPCに向かい吐露してきた私の言葉・・・そんな一滴の切なさに栓をしてまた明日に繋いで来たんだと思います。このPCに書くことでそんなあの当時のままの私の欠片が封印されていたのです。三十年前のあの日・・・ちょうど今の末娘と同い年の私がいます。風雨の中、そんな雑文を久しぶりに読み返してみました。自分の事ながら手探りでここまで歩いてきた人生への愛しさが蘇ります。十年、二十年、三十年なんてひとまたぎ・・・鮮やかに当時の私がここに息づいていました。小さな人間の営みですが、“愛”にからみ求めてきた足跡はやがて緩やかな見晴らしの良い場所までやってこれたんだ・・・そんな感慨が過ります。もう身をよじるような慟哭も切なく求めた愛も遠くに荷を下ろし、今は緩やかな足取り・・・このままゴール地点まで身軽にハミングしながら風に吹かれ歩こうか。

地球は最早温暖化を越して地球沸騰化と専門家は言う。発展という名の下、人類自身が想像し得なかった地球に追い込んでしまった。一方、性別を超えて肌の色を超えて・・・これほど人間の尊厳が唱われながら、80年前の悲惨な世界大戦の体験から”NO”を唱えていた方々がいなくなる状況の中で再び暗澹たる空気がこの地上を覆い尽くそうとしている・・・愚かです。誰しも人生って振り返ればこんなに短く愛しさに満ちてるって言うのに・・・なぜ人は利己的な排除の思想に染まっていくのでしょうか。

大きく育った我が家の春楡の木が深い影を落として、蝉時雨の中・・・ある小さな呟きです。

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